走ってゆけ、どこまでも! 元ブルーハーツ梶原さん、浜松のフリースクールなどで演奏 自らも不登校経験「音楽で居場所づくりを」
浜松駅前で演奏 通行人「あのブルーハーツ?」
昨年12月のJR浜松駅北口。ブルーハーツのヒット曲「情熱の薔薇(ばら)」を、若者たちが熱唱したり、ギターを弾いたりしていた。その傍らで、梶原さんが汗だくでドラムをたたく。紹介されると、通行人が「あのブルーハーツ?」と驚き足を止め、迫力たっぷりの演奏に耳を傾けた。
屋外ライブは浜松市東区天竜川町でフリースクールを運営するNPO法人「ドリーム・フィールド」が開催した。梶原さんが同法人の大山浩司代表(59)と約20年前に知り合い、今ではスクールでの音楽の練習に毎月参加。中区の障害者福祉施設「たけし文化センター連尺町」でも隔月で施設利用者と音楽セッションを開いている。
高2で半年、不登校 バンドがきっかけで復帰
ライブで一緒にドラムをたたいた浜松市東区の女性(26)は、言葉をうまく出せない。「普段はスクールの隅でしゃがんでいたが、音楽を通してなら自分を表に出すことができる」と筆談で説明した。大山さんは「音楽を教えてもらって元気をもらう生徒はたくさんいる」と話す。
梶原さんは高校2年生の時に進学校の雰囲気になじめず、半年ほど不登校を経験したが、同級生の音楽仲間とバンドを結成して学校に復帰できた。「音楽が自分に居場所を与えてくれた」と振り返る。大学進学後はブルーハーツに加わり、ドラマーとしてバンドを支えた。
障害者バンドの演奏に「衝撃」 福祉活動へ
解散以降は福祉分野へと目を向けた。きっかけは、神奈川県厚木市の福祉施設を利用する障害者をメンバーとするロックバンド「サルサガムテープ」。元「うたのお兄さん」のかしわ哲さんの呼び掛けで結成、障害者が手作り太鼓などをパワフルに演奏するのが特徴で、フジロックフェスティバルにも出演経験がある。
梶原さんは「それぞれが好き勝手に楽しそうに楽器をたたく姿に衝撃を受けた」。「サルサ」と共演したことがあるロックミュージシャンの故・忌野清志郎さんに紹介してもらい、「サルサ」の活動に参加。今はメンバーとしてドラムを担当している。
全国各地で演奏している梶原さんだが、浜松市を重点的に訪れている。「浜松は音楽に携わっている人も多いので、駅前などで積極的にアピールしていきたい」と意気込む。浜松での次の屋外ライブは6月ごろ。詳しい日程はドリーム・フィールド=電話053(422)5203=へ。
THE BLUE HEARTS(ザ・ブルーハーツ)
ボーカルの甲本ヒロトさんらを中心に1985年に結成された4人組ロックバンド。1986年の梶原さんの加入後、「リンダリンダ」、「TRAIN-TRAIN」、「情熱の薔薇」などのヒット曲を生んだ。1995年に解散。