〈奥山佳恵さんの子育て日記〉9・ダウン症の孫を受け入れられなかった義父と、お別れの前に
「学力がすべて」の家庭環境で育ち…
義理のお父さんが先日、天国へと旅立ちました。元気に復活したと思っていた直後で、ある程度覚悟はできていたとはいえ、突然の訃報です。
〈前回はこちら〉8・できないことはあっても、「ダメなところ」なんてひとつもない
お義父(とう)さんは選ぶ服も言葉もいつもオシャレ。若々しく面白く、ダンディーという呼び名がぴったりでした。初めてお会いした時から品のあるジョークに笑わされっぱなし。私は、お義父さんが大好きなんです。
ですが、ダウン症のある次男のことは受け入れてもらえませんでした。お義父さんが生まれ育った家庭環境は「学力の高さがすべて」。そうではない人の必然性を理解することが難しかったようです。
「なぜ生まれる前に調べなかったの?」
次男が誕生し、何度か会う機会があっても、次男とお義父さんの間になんとなく距離があるな、とは感じていました。でも去年、ついにお義父さんからハッキリと言われたんです。「どうしておなかの中にいる時に次男のことを調べなかったの?」って。
親切心で言ってくれた言葉だろうけど、大切に思っているわが子を全否定された。でも、お義父さんがそう思うのも無理はない。だって、次男といっしょにいる時間が少なすぎますもんね。住んでいる場所が遠すぎて会える頻度も少ないから、良さも悪さも含めて次男を丸ごと知る機会がない。そう書いた手紙を送ることにしました。ちょうど、お義父さんのお誕生日だったので、プレゼントに添えて。
私たちの思い、手紙に込めて伝えたら
「お義父さんは、私たち夫婦のことを『明るくて良かった』と言ってくれるけど、明るく笑っているのは楽しいからだよ。不幸でも苦労をしているわけでも、頑張っているわけでもないので心配しないでね。お義父さんも私たちも子どもたちもみんな、生まれてきて本当によかった、おめでとう!」
「次男に会うことができたから、出生前診断をしなくてラッキーだったよ」とも明記しました。
手紙の効果は絶大だった。お義父さんの次男への対応はそれまでと一変し、優しさに満ちた。うちの子、できないことだらけでも、私たち夫婦にとっての宝物なの。別れ際、お義父さんは初めて自分から次男に握手をしてくれました。天国に旅立つギリギリで、間に合ったと思った。
次男のことをわかってくれてありがとう。やっとちゃんと、次男を見てくれてありがとう!
冷たくなったお義父さんの頬をなでながら、最後に告げたあいさつは「楽しかったよ、またね」。また次に会えた時に、笑わせてよね! (女優・タレント)
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