〈奥山佳恵さんの子育て日記〉9・ダウン症の孫を受け入れられなかった義父と、お別れの前に

(2020年2月14日付 東京新聞朝刊)

お義父さんの目はどこか、ごめんねと言っていた

「学力がすべて」の家庭環境で育ち…

 義理のお父さんが先日、天国へと旅立ちました。元気に復活したと思っていた直後で、ある程度覚悟はできていたとはいえ、突然の訃報です。


〈前回はこちら〉8・できないことはあっても、「ダメなところ」なんてひとつもない


 お義父(とう)さんは選ぶ服も言葉もいつもオシャレ。若々しく面白く、ダンディーという呼び名がぴったりでした。初めてお会いした時から品のあるジョークに笑わされっぱなし。私は、お義父さんが大好きなんです。

 ですが、ダウン症のある次男のことは受け入れてもらえませんでした。お義父さんが生まれ育った家庭環境は「学力の高さがすべて」。そうではない人の必然性を理解することが難しかったようです。

「なぜ生まれる前に調べなかったの?」

 次男が誕生し、何度か会う機会があっても、次男とお義父さんの間になんとなく距離があるな、とは感じていました。でも去年、ついにお義父さんからハッキリと言われたんです。「どうしておなかの中にいる時に次男のことを調べなかったの?」って。

 親切心で言ってくれた言葉だろうけど、大切に思っているわが子を全否定された。でも、お義父さんがそう思うのも無理はない。だって、次男といっしょにいる時間が少なすぎますもんね。住んでいる場所が遠すぎて会える頻度も少ないから、良さも悪さも含めて次男を丸ごと知る機会がない。そう書いた手紙を送ることにしました。ちょうど、お義父さんのお誕生日だったので、プレゼントに添えて。

私たちの思い、手紙に込めて伝えたら

 「お義父さんは、私たち夫婦のことを『明るくて良かった』と言ってくれるけど、明るく笑っているのは楽しいからだよ。不幸でも苦労をしているわけでも、頑張っているわけでもないので心配しないでね。お義父さんも私たちも子どもたちもみんな、生まれてきて本当によかった、おめでとう!」

 「次男に会うことができたから、出生前診断をしなくてラッキーだったよ」とも明記しました。

 手紙の効果は絶大だった。お義父さんの次男への対応はそれまでと一変し、優しさに満ちた。うちの子、できないことだらけでも、私たち夫婦にとっての宝物なの。別れ際、お義父さんは初めて自分から次男に握手をしてくれました。天国に旅立つギリギリで、間に合ったと思った。

 次男のことをわかってくれてありがとう。やっとちゃんと、次男を見てくれてありがとう!

 冷たくなったお義父さんの頬をなでながら、最後に告げたあいさつは「楽しかったよ、またね」。また次に会えた時に、笑わせてよね! (女優・タレント)

〈次回はこちら〉10・コロナで休校 ダウン症の次男が、こんなに学校が好きだったなんて

コメント

  • 佳恵さんと同じ歳のワーキングマザーです。義理の弟夫妻の第二子に生まれた男の子がダウン症でした。 先週久しぶりに会いました。2歳になり可愛い笑顔をたくさん振りまいて家族を明るくしてくれるお子さんです。
     
  • なんとも言えない様々な思いでぶわぁーっと涙が溢れまして、メッセージ書きました。人間は経験しないと学べないものだと私自身もよく判っています。しかし、自分が家族を子供を理解してほしいと願っても、言葉で伝え