【虐待の連鎖】殴られて育った私、わが子に同じことを… 当事者が明かす実態「私のようになる前に、誰かに助けを求めて」
東京すくすくで「<ストップ 子ども虐待>わたしたちにできること」を特集したところ、東京都内の50代の女性からメッセージが届きました。「子に手を上げている瞬間は、自分で自分を止められなかった。親からされたことをわが子にしてしまっていると苦しみながら、抜け出せずにいる親がいるということを知ってほしい」という女性に話を聞きました。
殴られ蹴られ「私はいらない子」と感じて育った
「私の人生は、半分が虐待の被害者で、半分が虐待の加害者なんです。虐待がニュースになって親が責められるたび、その親はどんなにつらかっただろうと思って苦しくなる」。女性はこう語り始めた。
神奈川県で生まれ育った女性の両親の仲は悪く、物心ついた頃からけんかばかりしていた。再婚だった母親は、前夫との間に男児がいたが、子を連れての再婚を父親が拒んだ。「両親はスタートから夫婦としてつまずいていたのかもしれない」と女性は振り返る。
母親はアルコール依存症になり、毎日台所で酒を飲むようになった。酔うたびに、泣きながら引き取れなかった男児の名を叫ぶ母親の姿に、女性は「私はいらない子なんだ」と感じて育った。父親にも母親にも殴られたり蹴られたりして大きくなった。
6歳下に弟が生まれると、母親はさらに遠くなった。母親は生まれたばかりの弟をかわいがる一方、女性には「いい子」であることを強要し、暴力もひどくなった。
両親に暴力を振るった思春期「虐待の原点だった」
小学校高学年になると、母親の振る舞いはさらにエスカレートした。友人から借りた漫画を家で読んでいたら「漫画を読むとばかになる」とちぎって捨てられた。何かで母が怒り、階段の一番上から突き飛ばされて落ちたこともある。その頃の記憶は途切れ途切れだ。よく覚えていない部分も多い。とにかく家に帰りたくなかった。
中学生になり、小さい頃からたまっていた気持ちが爆発した。説教する母親を殴るようになっていた。父親と言い合いをして蹴ったこともある。暴力を振るった後は自己嫌悪に駆られた。このままではいけないと思った。でも、止められなかった。「私の虐待の原点だった」と振り返る。
部活動で部長を任されたり、高校受験に打ち込んだりしたことがきっかけになり、いつしか両親への暴力はやんだ。
出産後に夫からDV…気持ちのはけ口が子どもに
再び家族に暴力を振るってしまったのは、約10年後。自分の子に対してだった。
手に職を得て20歳から働き始めた。一刻も早く両親の元を離れたいと、22歳からは1人暮らしを始めた。24歳で結婚し、3人の子が生まれた。第1子の出産後、夫からのDVが始まった。気に入らないことがあると、手も足も出た。外づらは良く仕事もできる人だったが、一度スイッチが入ると止まらなかった。
夫からの暴力に耐える中、自分の気持ちのはけ口となったのは子どもだった。子どものことを、かわいいと思う余裕もなかった。まだ小さかった上の2人を殴った。蹴った。子どもが少し大きくなると「おまえは何もできないんだから、家事くらいしろよ」。言葉のやいばも向けた。水が高い方から低い方へ流れるように、虐待も強い方から弱い方へ向かった。
初めて子どもをかわいいと思えたのは、第3子が生まれてから。上の子も末っ子をかわいがってくれた。そんな姿を見るひとときは幸せだったが、夫と離婚し、東京へ移った後も、子への虐待はやめられなかった。体調を崩しがちな子ども、たまる一方の家事…。夜勤もしながら1人で3人の子を育てる余裕のなさも大きかった。
「育ててやってるんだ」。自分が親から言われて一番嫌だった言葉を、何度も投げつけてしまった。子に手を上げながら、自分のことを責め続けた。「なぜ子どもを産んだんだろう」「結局、私も親と同じことをしてしまった」
「どんな暴力を受けたか、日記に残してるから」
今と比べて「虐待」という言葉が一般的ではなかった20年以上前の当時、自分が虐待をしているという意識は薄かった。女性は「もともと自分が子どもの頃から暴力を振るわれて育ち、子に手を上げることに抵抗がなかった」と振り返る。子どもに体と言葉の暴力を振るっていた頃は、夫からのDVに加え、仕事や育児といった日々の大変さなどにより、「全てにおいて自分に余裕がなかった」。
子3人が成人した今、後悔はさらに深くなっている。子どもたちとの関係はうまくいっていない。所在を知らせてこない子もいる。
最近、子の1人から当時のことを責められている。「どんな暴力を受けたか、全部日記に残してるから」「虐待のストレスで心身の調子を崩したせいで、まともに働くこともできない」。正直、言われて初めて思い出した自分の行為も多い。「自分が親にされたことは鮮明に覚えているのに、自分のやったことはあまり思い出せない。人間て、なんて都合の良い生き物なんだ」と苦しむ。
「虐待の連鎖」という言葉を知ったのは、子育てが落ち着いてから。虐待の連鎖について書かれた書籍を片っ端から読み、「自分のことだ」と思った。
今は、自分の子が、さらに虐待を連鎖させてしまうのではないかと恐れている。
「危ういと思ったら、抱え込まずに手を伸ばして」
繰り返される虐待の報道に、女性は訴える。「一生懸命育てていても、虐待をしてしまったら台無しになってしまう。今は行政の相談窓口をはじめ、たくさんの門が開かれている。虐待をしてしまっている親は、自分で分かっていると思う。危ういと思ったら、自分一人で抱え込まないで手を伸ばして。私のようにならないで」
虐待の連鎖を防ぐには? 専門家に聞きました 「心の傷に気付くことが第一歩」
では、「虐待の連鎖」を防ぐにはどうしたらよいのでしょうか。親本人、周りの人、行政、それぞれの立場でできることは? 「親から虐待された心の傷がある」「子どもに虐待やそれに近いことをしてしまった」場合、どのように対処したら? 子ども虐待に詳しい東洋英和女学院大大学院・人間科学研究科長の久保田まり教授に聞きました。
―虐待は、親から子へ連鎖するのでしょうか。
「虐待の連鎖」というよりも、「関係性の質が連鎖する」といえます。親子関係だけにとどまらず、例えば「学校や会社で先輩からされた指導を同じように後輩にする」といったことと似た構造です。「かつての『いじめられっ子』が、その後『いじめっ子』に変貌する」なども同じです。
―虐待が親子間で連鎖する割合はどれくらいなのでしょうか。
問題の性質から言って、なかなか、客観的なデータを得ることは難しいのですが、海外の研究では、虐待の連鎖の割合は、だいたい3割程度と言われています。
ほとんどが、自分の子どもを虐待した親に対して、「自身が子どもの頃に虐待された経験があるかどうか」を問う「回顧的研究」です。人の記憶を頼りに問うので、被虐待経験の有無が事実かどうかは、検証できません。また、質問用紙で問うのか、口頭で問うのか、という方法の違いによっても結果は異なってきます。
よって正確な数値での把握は難しいのですが、見解としては「3割程度」です。ということは、6~7割は、連鎖しない、ということでもあります。
―虐待の連鎖を防ぐために、親本人ができることは。
過去の自分の親子関係にとらわれずに、「親と自分との関係」と「(大人になった今の)自分と自分の子どもとの関係」とは全く別個のもの、と認識することです。とはいえ、過去からの脱却は、それほど簡単ではありません。傷が深いほど難しいのです。
また、子育ての不安・負担を1人で抱えずに、パートナーやママ友・パパ友、子育て支援者などに打ち明け、相談し、共有してもらいましょう。負担になっている部分を分担・手助けしてもらうなど、支援のネットワークを確保することです。
そして、子どもへのイライラする気持ち、嫌いになる気持ち、たたきたくなる気持ちを、自分で「否定」することなく、「程度の差はあれ、親としては自然だ」と自分の気持ちを素直に受け入れることも重要です。
子どもへのアンビバレントな(相反する)気持ち―かわいいし、いとおしいし、世界で一番大切。なのに、イライラするし、憎たらしいときもあり、叱り飛ばしたいときもある―を、自分の内で受け入れること。そして、できればそれを信頼できる誰かに、話してみることです。
一方で、自分の親に対する怒りや恨み、甘えたかった気持ちを否定せずに素直に振り返り、信頼できる人に「言葉を紡いで語る」ことができれば、過去からの脱却は近くなります。語りを聞いてもらう人が身近にいない場合は、こういった感情を、そのまま文字にして表現してみる、というのも一つの方法です。
―家族やご近所など周りができることはありますか?
子育て全体に共通することですが、養育者が安定するような「家族(特にパートナー)の情緒的サポート(感謝、ねぎらい、共感、励まし)」▽養育者1人に負担が集中しないような「子どもの世話などの分担・手助け」▽ママ友同士の情報共有や励まし合い―などが有効です。
虐待の兆しや子どもの変化など、何らかの異変に気が付いたら、養育者に寄り添いつつ、話を聞くことが大事です。
―行政など公的な機関ができることは。
さまざまな子育て支援事業が立ち上がり、サービスも提供されているようですが、実は、虐待リスクの高い養育者にとって必要なのは「個別の、身近な見守り」です。
具体的には、乳幼児期の、地域の保健師などによる定期的な家庭訪問を通した個別の相談活動などです。子どもとのかかわり方(泣きやませ方や遊び方)を具体的に教えたり、親自身のリラックスの仕方を助言したり、お子さんの成長を評価したり、という援助です。親の心理療法が必要な場合もあります。
海外の研究では、妊娠期から2歳までこういった個別の支援をすることで、その後の幼児・児童期の虐待やネグレクトは著しく減少することが実証されています。
―「自分に親から虐待された心の傷がある」と感じた場合に、本人にできることは?
この気付き自体が連鎖を防ぐ第一歩です。連鎖するケースでは、「虐待ではなく、しつけであり、子どもは痛い目に遭わせないと学ばない。自分も、親からそうやってしつけられた」「体罰は必要だ、自分もそうやって育ってきた」など、意識としては、むしろ、身体的・言語的暴力を肯定します。
そういう意味で、「心の傷」への気付きや認識は重要な一歩なのです。
その上で、繰り返しになりますが、過去の自分の親子関係にとらわれずに、「自分と自分の子どもとの関係は全く新しい関係性であり、自分と子どもとでつくっていくものなのだ」ととらえることが重要です。
―自分の子に虐待やそれに近いことをしてしまった場合、どうしたらよいのでしょう。
自分を過度に責めず、イライラする気持ち、かっとなる衝動、子どもを憎らしく感じる気持ちを、「自然な気持ち」として自分で受け入れた上で、「どうして、そういう気持ちになったのか」と落ち着いて内省してみましょう。そして、そのことを、信頼できる身近な誰か、あるいは子育て支援者に、話しながら振り返ってみましょう。
―虐待した親が、自分の子に後年それを責められた場合は?
子どもの言い分にひたすら耳を傾けましょう。その当時の子どものつらさ、恐怖、無力感、寂しさ、そして現在の子どもからの敵意、怒りを、子どもの身になって受け入れましょう。同時に、そのころの親としての自分の不安、寂しさ、孤立無援の孤独感などを丁寧に伝えてみましょう。ただ、この場合、親が、自分自身の心の問題をほぼ解決していることが大事です。
―子を虐待した親が、自分の子が親になった時のことを心配する場合、何かできることはありますか。
ケース・バイ・ケースで、一概には言い切れません。ただ、虐待をしてしまった親の「心配」は、自分自身の「不安」の反映でもあるので、むしろ、ある程度は(親となった)自分の子どもを信じて、任せればいいと思います。中途半端に、かつて虐待してしまった親が関わると、また過去の関係性が再燃し、記憶がよみがえる契機にもなりかねません。自分の子どもを信じて、「子どもの方から素直に頼ってきたときには、手助けする用意をしておく」くらいがよいでしょう。
くぼた・まり
東洋英和女学院大大学院・人間科学研究科長。日本乳幼児医学・心理学会理事。日本発達心理学会、日本子ども虐待防止学会などにも所属。専門分野は発達心理学で、特に乳幼児から思春期・青年期までの親子関係や、愛着に関する発達臨床心理的問題を研究テーマとしている。
論文に、「児童虐待における世代間連鎖の問題と援助的介入の方略:発達臨床心理学的視点から」(季刊社会保障研究)、「ハイリスク家庭における虐待・ネグレクトの心理・社会的支援の実際:親と子を対象とした予防的・援助的介入」(厚労科研「子育て世帯のセーフティーネットに関する総合的研究」報告書)、「虐待を防ぐための予防的介入と親子支援」(教育と医学)など。
取材後記
「話すことが自分の心をえぐることにもなるが、私の経験が誰かの役に立つのであれば、加虐してしまっているつらいお母さんにとって何らかの参考になるのであれば…」。昨年11月に本サイトが特集した「<ストップ 子ども虐待>わたしたちにできること」の一連の記事を読んだ女性からのメッセージには、長文の虐待体験がつづられていた。
何度かのメールのやりとりの後、住所や名前を明かした上で、取材に応じてくれた。「取り乱してしまうかもしれないので、喫茶店などではなく静かな部屋でお願いします」とのことで、都内の貸会議室で話を聞いた。
自分の育った家庭と自分の築いた家庭で起こったことを、2時間かけて話してくれた女性。終始冷静に言葉を紡いでいたが、最後に「虐待しているお母さんが一番つらいと思う。私のようになる前に、誰かに助けを求めて。誰かが救いの手を差し伸べてあげて」と語ったとき、初めて声が震え、顔を覆った手の隙間から涙の筋が何本もつたった。
私も3人の子を育てている。「東京すくすく」編集チームの仲間との座談会でもメンバー同士で打ち明け合ったように、虐待と隣り合わせだと感じている。虐待のニュースに接するたび、女性と同じように、「虐待してしまっていた親も、どんなにかつらかったろう」と苦しい。久保田教授がインタビューで語ったような支援と理解が社会に広まるように、今、子どもと向き合いながら苦しんでいる親に届くように、自分には何ができるだろうか。
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