<記者の視点>親として直面した公立小中の教員不足 ブラックな労働環境、もう限界では
新卒の先生が6月に「自信なくなってしまった」
私は6月、都内の公立小に通う次男(9つ)の担任が、心身のバランスを崩して辞めてしまう事態に直面した。20代の新卒の先生だった。新学期の保護者会で、どうか教員としての一歩を順調に踏み出してほしい、と親のような気持ちであいさつを聞いていた。
それだけに、1学期のうちに先生が学校に来られなくなるというのはショックだった。校長によると、毎晩遅くまで授業準備をして、直前まで運動会の準備にも熱心に取り組んでいたそうだが、「子どもたちの前に立つ自信がなくなってしまった」と話し、最終的に辞職したという。後任の着任まで数週間は、副校長が担任に入った。
重い負担…校長も苦悩 「削れない学習が多い」
臨時保護者会では、担任が急にいなくなることで、授業や子どもたちの気持ちへの影響を心配する声が次々と上がった。若手の先生を学校が支えられていないのではないかという疑問や、運動会など行事の負担が大きすぎるのではないかという声も。先生たちが日々の授業にゆとりを持って取り組めるようにしてほしい、子どもと話したり遊んだりする時間を大事にしてほしい、という意見も多く出た。さらに業務効率化を進めたいと話した校長は「ただ、削ることができない学習内容もとても多い」と説明。現場の限界がにじんでいた。
取材で実態を語ってくれた先生たちも、まずは今の業務の過密状態を改めるべきだと口をそろえた。学力テストや体力テスト、英語や道徳の教科化、プログラミング教育の導入…。「子どものため」という掛け声の下、学校に求められる仕事は増え続け、今や容量オーバーは明らかだ。
公立校の教育の質=社会の土台 もはや崩壊寸前
公立学校の教職員の働き方改革の一環として、政府は年単位の変形労働時間制の導入を検討している。繁忙期に勤務時間が増えても時間外労働と見なさず、その分の休みを夏休みなどに付け替える案。でも教員などからは「見かけ上の労働時間が減るだけだ」などと批判が上がっている。
教員の働き方を適正にすることが急務なのは、先生自身が健康や心の余裕を保つことが、教育の質に直結するからだ。誰でも通える公立学校の教育の質を担保することは、この社会の土台をつくっていくことではないか。すでに教室に穴があいていることを重く受け止め、国は膨らみすぎた教員の仕事を減らした上で、人員増についても真剣に考えるべき時だ。小手先の「改革」ではもう、公教育の崩壊は止められないレベルまで来ているように思う。
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