「ハリー・ポッター」シリーズ刊行25周年 翻訳家・松岡佑子さん「二度とは出会えない、心躍る作品」

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小説「ハリー・ポッター」シリーズ全7巻を10年間かけて翻訳した松岡佑子さん。日本での第1巻の刊行から25年の節目を迎える=いずれも東京都千代田区の静山社で、由木直子撮影

 魔法使いの少年が活躍する小説「ハリー・ポッター」シリーズは今年、日本での第1巻刊行から25周年の節目を迎えます。昨年は映画の世界を再現した施設が東京にオープン。舞台「ハリー・ポッターと呪いの子」も大ヒット中で、今も子どもたちの心をとらえて離しません。全7巻の物語を日本中に届けた立役者、翻訳家の松岡佑子さん(80)に、作品との出会いと魅力について聞きました。
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3本の箒(ほうき)や暖炉などの物語に登場するアイテムを背景に、「ハリー・ポッター」を出版した静山社で行われた松岡佑子さん(左)へのインタビュー。左は聞き手の今川綾音・東京すくすく編集長

英国の友人に薦められ、一気読み

-松岡さんと「ハリー・ポッター」の出会いは?

亡くなった夫から出版社を受け継ぎ、出版する本を探していました。とにかく書き手を探さなくてはと悩み、英国に住んでいる友人夫婦に相談しました。「翻訳するならこれだ」と紹介してくれたのが、「ハリー・ポッターと賢者の石」です。「英国で子育てをしている人だったら読んでない人はいないくらい、はやっている」と薦められました。

紹介された夜、ホテルへ帰り、読むのを止められず、一気に全部読んでしまいました。「求めよ、さらば与えられん」ですね。求めていた時に、出会ったのがこの本です。

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何度も繰り返し読み、たくさんのふせんがつけられた原書

-版権を得るために、既に日本の出版社3社が動いていたと聞きました。社長の松岡さんが、たった一人で運営していた出版社・静山社が選ばれたのはなぜだと思いますか。

作者のJ.K.ローリングさんと私は境遇が似ていました。彼女は離婚して、乳飲み子を抱え、出版のあてもなく、この本を書いていました。私も夫を亡くし、小さな出版社を受け継いだばかりでした。そういう環境下にいたからこそ、彼女は小さな出版社でも気にしなかったのでしょう。後に「佑子が一番、情熱的な出版人だと代理人から聞いた。人生において、情熱ほど重要なものはないと思う」と語ってくれました。〝情熱勝ち〟です。情熱が助けてくれました。

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J.K.ローリングさんが松岡さんに贈った言葉「情熱あふれる出版人、ユウコへ」

印象的だった「親を思う気持ち」

-作品の魅力は、どこにありますか?

第1巻から何度も何度も読み込んで、一番心に残っているのは、ハリーが親を思う気持ち、親を亡くした悲しみです。親を殺した、悪の権化のような人間に立ち向かっていかねばならないという決意。そういうハリーの強さ、悲しみも含めて、私は積極的なプラスの力として受け止めていました。

ハリーが自分に課せられた過酷な運命にどういう形で耐えるのかという疑問が、物語の先を読みたくなるきっかけになりました。友達のハーマイオニーとロンが助けてくれることの美しさや、魔法学校の先生たちの知恵とサポートも魅力となっています。愛と友情と勇気、3大テーマが鮮明に浮かび上がる作品です。

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-ハリーが大きな力に立ち向かうシリーズをとおして、そうした力への恐怖も鮮明に描かれています。

作者は「子どもたちが『死』という問題に向かい合うことができるはずだし、向かい合うべきだ」と考えていました。彼女自身は母親を難病で亡くしています。子どもであっても「死」と向き合うべきだ、という考えを持っていました。それを誇張することはありませんでしたが、美化することも隠し立てすることもなく、子どもたちが「死」と向き合えるように意識して作品を書いたのだと思います。彼女自身の考え方が、ハリー・ポッターにおける「死」の描かれ方には反映されています。

悩んだ「どういう姿勢で訳すか」

-松岡さんにとって、「ハリー・ポッター」は初めての文芸書の翻訳となりました。

「自分が訳したい」と思うほど、ほれ込んだ作品です。しかし、児童書をはじめ、文芸書の翻訳の経験は皆無で、最初はどうすればいいのか分かりませんでした。

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まずは仲間を集めました。乙武洋匡さんの「五体不満足」や津島佑子さんの作品を英訳した経験のある友人、ジェリー・ハーコートさんに「誤訳があったら指摘してほしい」と頼みました。日本語についてもよく見てもらおうと、大学時代の後輩2人にもチェックをお願いしました。

また、どういうレベルや言葉の調子で訳すかという「基本姿勢」を決めるまでに時間がかかりました。日本語は「です・ます」調、「である」調がありますよね。最近の児童書には砕けた言葉を使うものもありますが、私はできませんでした。自分が子どもの頃に使っていた言葉しか記憶がないですからね。だから、ハリーの会話はあまり砕けていないと思います。ごく真面目な言葉で、でもユーモアは失わないようにしゃべらせました。

通訳を目指したわけではなかった

-松岡さんはどんな子どもでしたか。

福島県で生まれ育ちました。外で遊ぶよりも本が好きな子どもでした。両親は教師で、父は農業高校の先生。生物や植物については、生活の中で父から教えてもらいました。

-英語との出会いは。

中学に上がる時に、「新しい教科でつまずいたら自信をなくしてしまう」と、母が家庭教師を見つけてくれました。きれいな英語の発音をする先生で、英語が好きになりました。高校は宮城県の女子校へ。英語を用いてさまざまな活動を行うクラブ「ESS」に入り、いつか英語で何かすることになるだろうと思っていました。

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-女性が社会で活躍することが当たり前でない時代に、キャリアを積み重ねました。

母が教師だったこともあり、子どもの頃から女性が働くのは当たり前だと思っていました。ただ、通訳になろうと勉強してきたわけではないんです。本当は大学院に進学しようと思っていました。だけど、大学時代に付き合い始めた夫が、フランス哲学を学んでいて全然稼げそうになく、これでは生活できない、と私が就職活動をしたんです。英語の通訳を募集していた半官半民の機関「海外技術者研修協会」に採用してもらいました。人生って、偶然そうなるということがあるんですよね。

苦労ではなくチャレンジと考える

-通訳と翻訳。違いはありましたか。

共通点は多いですが、違う点もあります。通訳は話すことが好きな人、翻訳者は文章を練ることが好きな人が向いています。翻訳者は、調べ物をしたり、文章を練ったり、じっくり時間をかけられます。ですが、通訳は、すぐに反応しなくてはいけません。私自身、夫からも「あなたは翻訳者の方が向いている」と言われていました。じっくり座って、根気よく何かをする方が好きでしたからね。事実、「ハリー・ポッター」の翻訳は、楽しかったです。

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-翻訳で苦労されたことは?

私は苦労だとは考えないんです。チャレンジだと考えます。「どんなことでも、向き合って一生懸命やれば何でもできる」と思っています。

-「ハリー・ポッター」がどんどんメジャーになっていく中で、プレッシャーになったことは。

部数が増え、有名になったことによるプレッシャーはありませんでした。それよりも、第1巻刊行時の「これを日本でベストセラーにしなくては、作者に申し訳ない」という重圧が大きかった。その重圧は頑張る力にもなり、喜びでもありました。

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松岡さんが何度も読み込んだ第1巻「ハリー・ポッターと賢者の石」の原書(手前)と、日本で翻訳出版された同作品

ハリーと同様、仲間が力をくれた

-日本で刊行されて25年。根強いファンが多く、何度も繰り返し読む読者もいる、魅力にあふれた本です。

以前、小学生の読者の集いに参加しましたが、熱心に読み込んで、せりふも呪文もよく覚えてくれていることに驚きました。作者の期待に応えられたと思いましたね。

一方で、巻を追うごとに、ビジネスという面では非常に大変になりました。全て乗り越えてこられたのは、会社の仲間や友人が手助けをしてくれたからです。25年間、ずっと一緒にやってきました。ハリーを仲間が支えてくれたのと同じですね。友達と良い本に恵まれて全力を注ぐことができたのは、本当に幸せでした。

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作者のJ.K.ローリングさんが「こんなにひどい状態の本は見たことがない」と書き込んだ、第1巻「ハリー・ポッターと賢者の石」の原書。松岡さんがボロボロになるまで読み込んだ

-松岡さんの周りの仲間や支えてくれた人たちが、ハリーの周りにいる人たちに重なります。

人との出会いは大事なことです。私はおしゃべりではないですし、いろいろな人と付き合うわけではないんです。その分、「この人とは付き合えるな」という人とは全身全霊でとことん付き合っていますから、長続きするんだと思います。たくさんの人と仲良くするのもいいことだと思いますし、そういう生き方もあります。でも、私はできなかった。通訳で世界各地を飛び回っていましたから、物理的にもできませんよね。

-本以外にも楽しめるものがたくさんある中で、子どもたちが本に親しんでいくために、大人はどんなことに心を砕くとよいのでしょうか。

昔と違い、面白いものが本しかない環境ではなくなっています。テレビを与えず本だけを与えるようにしている知り合いもいますが、子どもにとってはテレビを巡る話題についていけないのもつらいですから、全く触れないというのも難しいでしょう。

ただ、子どもは面白ければ読みます。ハリー・ポッターはその力がある本です。「ハリポタが読み終わったら、もう同じくらい夢中になって読める本がない」という人もいます。この長大な7巻に匹敵する作品は、トールキンの「指輪物語」くらい。でも「指輪物語」は難しい。ハリポタのように、子どもも大人も面白く読める本は稀有です。

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「ハリー・ポッター」シリーズ全7巻

-「ハリー・ポッター」のような作品と、もう一度出会いたいですか。

もし出会えたら奇跡です。出版界の人たちはみんな、「こんな本が出るとは思わなかった」と言います。私もハリーを訳し終わった後、いい本はないかと多くの本を読みました。だけど、心が躍るような作品とは巡り合えていません。人生において、二度とは出会えない本ではないかと思います。

取材を終えて

「こんなに分厚い本は、子どもは読まない」。ハリー・ポッターの第1巻の翻訳出版に、松岡さんの日本の仲間はみんな反対したそうです。そんな中、あるアメリカの編集者は「面白ければ、子どもは読む」と断言。「その言葉どおりになりました」と会心の笑みを見せる松岡さんの、ハリーの目と同じ緑色のアイシャドウが印象に残っています。

私の長男も小学1年生の夏、ハリー・ポッター全7巻を、あっという間に読み尽くしてしまいました。「まだ漢字も習っていない子が、こんな分厚いシリーズを…」と驚くほどの没頭ぶりでした。

「授業中、座っていられないんです」。担任の先生から連絡があったのは夏休みが目前に迫った7月の初め。友達関係でもよくトラブルを起こしているとのことで、「この先、小学校でちゃんとやっていけるのだろうか」と不安が募っていた時期でした。

学童保育にもうまくなじめず、夏休みをどう過ごさせるかで頭を悩ませる中、夢中になってハリー・ポッターを読む長男の姿に、「これだけ集中できるなら、この先もきっと大丈夫」と、なぜか安心したことを鮮明に覚えています。

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長男も親もつらかったあの夏休み、息子を熱中させてくれたハリー・ポッターに、私は今でも感謝しています。長男はその後も繰り返し読み、「全部で7周した」そうです。さえない主人公ハリーが、魔法学校の先生や一部の同級生とうまくいかずにつらい思いをしても、そばにはいつも支えてくれる友達、ロンとハーマイオニーがいる。そんな物語の世界を、自分と重ねていたのかもしれません。

私自身は、学生の頃に4巻まで読んだまま、働き始めてからは読む時間の取れなかった5~7巻を今回の取材を機に読みました。仕事と家事を終え、毎晩、分厚い本を開く瞬間が楽しみでした。中学生になった長男は、ソファの後ろからのぞき込んで来ては「今、どこ読んでるの?」。私も「これ、この先どうなるの?」「この人、味方なの、敵なの?」「ここ読んでるとき、どう思ってた?」と話が弾みました。

読み終わるまでは「早く先を読みたい」という気持ちが、読み終えてからは作品が伝えるメッセージが、日々生きる糧になる。読み手に魔法をかけてしまうような、力のある作品です。

これからハリー・ポッターの世界の扉を開く子どもたちと、その子どもたちの反応を間近で見られる大人たちを、心からうらやましく思います。

松岡佑子(まつおか・ゆうこ)

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1943年、福島県原町市(現・南相馬市)生まれ。スイス在住。宮城県第一女子高、国際基督教大教養学部社会科学科卒。モントレー国際大学院大で国際政治学修士を取得。81年から国際労働機関(ILO)の年次総会同時通訳を担当。30年以上の通訳のキャリアを持つ。98年、夫の死去に伴い、静山社社長に就任。99年に「ハリー・ポッターと賢者の石」を日本語に翻訳出版し、大ベストセラーになる。シリーズ総発行部数は3000万部以上。他の訳書に「少年冒険家トム」シリーズ全3巻、「ブーツをはいたキティのおはなし」、「ハリー・ポッターと呪いの子 第一部・第二部」(いずれも静山社)など。今年1月、同社終身名誉社長に就任。

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