プロ野球キャンプシーズン到来! 「分福茶釜」との意外な接点とは…?  

谷野哲郎
子育て世代がつながる
 
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春季キャンプでノックを受ける選手たち(2020年2月6日撮影)

 今年もプロ野球のキャンプが始まりました。選手たちは沖縄や宮崎で約1カ月間、自らを鍛え上げてペナントレースに備えます。でも、皆さんは知っていますか? プロ野球のキャンプが、いつ、どのように行われるようになったのかを。今回はプロ野球のキャンプの始まりを調べました。

 1月下旬、のどかな風景が広がる群馬県館林市を訪ねました。東武伊勢崎線・茂林寺(もりんじ)前駅。ここにプロ野球に大きな影響を及ぼしたキャンプの痕跡が残っています。駅のすぐ西にある分福(ぶんぶく)球場跡地。今は学校法人・関東学園のグラウンド、当時は茂林寺球場とも呼ばれたこの場所で、今から84年前の1936(昭和11)年に伝説のキャンプが行われました。

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分福球場跡地。現在は学校法人・関東学園のグラウンドになっている

 協力を依頼した野球殿堂博物館に詳細な記録が残されていました。同館収蔵の「プロ野球風雪三十年の夢」(藤本定義)「背番8は逆シングル」(白石勝巳)などの書籍によると、参加したのは沢村栄治やスタルヒン、三原脩、前川八郎といったプロ野球初期を彩った名選手たち。ここで彼らは9月5日から8日間にわたり、ハードなトレーニングを繰り返しました。

 内容は過酷なものでした。藤本定義監督は、1日2000本前後のノックを野手たちに浴びせました。弾んだボールを体や顔に当てる選手が続出し、あまりの激しさに意識を失う選手もいたそうです。グラウンドでの練習が終わっても、夜は宿舎でルールやセオリーを勉強。最後は素振りを300回。まさに地獄の特訓でした。

かつては猛ノックがキャンプの代名詞のように。ふらふらになって膝をつく巨人の堀内恒夫選手(1970年2月撮影)

 巨人はこの2年前の34年に千葉県習志野市谷津で合同練習を行っており、これがプロ野球初のキャンプとされています。しかし、選手にハードな練習をさせて、シーズンに備える今の形ができたのは、この茂林寺というのが定説。42年に巨人に入団、主力選手として活躍した故・青田昇さんが「キャンプといえば、茂林寺やろ。先輩によう聞いた。1000本ノックの猛特訓はプロ野球の原点や」と話してくれたのを思い出します。

 茂林寺のキャンプが行われた36年はプロ野球が始まった年です。米国遠征のため、7月の大会から公式戦に参加した巨人は2勝5敗と低迷。キャンプはそんな選手たちを引き締める目的で行われたそうです。そのかいあって、巨人は続く秋のリーグ戦で優勝。キャンプで鍛えて優勝を目指す現在の方式が球界に広がっていきました。

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東武・館林駅前にある分福球場の記念碑の横にはタヌキの像が

 ところで、「分福球場」の名前からすぐに思い起こされるのは、昔話の「分福茶釜」ですよね。タヌキが茶釜に化けて、自分を助けてくれた和尚さんに恩返しするおとぎ話。球場から歩いて10分ほどのところにある曹洞宗の茂林寺が、この物語のゆかりの場所なのです。子どものころに読んだ昔話の舞台と、プロ野球の熱血キャンプがつながっているのは意外な感じがしました。文献に茂林寺を選手が訪れた記述はないのですが、想像を絶する猛練習に、当時の選手はさてはタヌキの仕業かと思ったかも??

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茂林寺の周辺には「分福茶釜」の物語を紹介する案内板も

 キャンプの主な目的は、反復練習で技術を体に覚え込ませること。昭和の時代は「教える」といえば、指導者がトップダウン方式で強制的にやらせることが当たり前でしたが、今では全く違う指導法が出てきています。次回は「ティーチング」と「コーチング」の違いについて、お伝えします。

「アディショナルタイム」とは、サッカーの前後半で設けられる追加タイムのこと。スポーツ取材歴30年の筆者が「親子の会話のヒント」になるようなスポーツの話題、お薦めの書籍などをつづります。

 

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