〈坂本美雨さんの子育て日記〉16・いつもそこにある
秩序の敏感期
妊娠中に出合ったモンテッソーリという教育法で、生後6カ月~4歳ごろに「秩序の敏感期」という段階があると知ったとき、ストンと腑(ふ)に落ちるものがあった。
それは、身の回りが「いつも同じ」であることに、子どもがとてもこだわる時期。まだ小さな子どもの世界では、例えば部屋の家具の配置、親の服装など、大人にとってはたわいもなく思えることが、大事な「世界の秩序」であり、心のよりどころになる。それらを手がかりにして新しい世界を知っていく。
パパが茶色い縁の眼鏡をかけていること、ママが赤いお箸を使っていること、スーパーに行くときポストのある角を曲がること…。子どもが毎日よーく観察している世界の構造が、ある時、突然変わってしまうと、不安を覚える。それで泣いたり、うまく説明できずに癇癪(かんしゃく)を起こしたりするのかもしれない。
秩序の敏感期は2~3歳ごろがピークだという。「イヤイヤ期だから」と解釈されることの多くはワガママじゃなくて、ちゃんと子どもなりの理由があるんじゃないだろうか。だから日常の世界の秩序をなるべく安定させてあげることが大事だし、それを知っているだけでも、気持ちをくみ取れることが多くなる。
大人も同じ
でも、大人もこういう感情はあるなと、最近はたと気づいた。それは友人の引っ越しがきっかけ。料理家の友人が京都に拠点を移すことになり、知り合って以来ずっと通っていた彼女のお店が閉店した。くつろげるお座敷は、子どもが生まれてからは唯一といっていい安住の地だった。彼女の笑顔が見たくなるとふらりと立ち寄ることも。そして彼女の自宅もそうだった。
引っ越し前夜、彼女の愛猫に挨拶に行き、ガランとした部屋に足を踏み入れると、涙が込み上げてきた。彼女がよく振る舞ってくれた大好きな唐揚げ、娘のお食い初めをやってもらったこと、おなかいっぱい食べて、そのままよく娘と床で寝落ちしたこと、思い出がよみがえる。彼女とはもちろんお別れじゃないし、これからまた思い出を重ねるけれど、彼女の空間が「いつもそこにある」ことは、心のよりどころだったのだ。
ふいになくなるというのは、大人だって世界が揺らぐことなんだ。娘にとっては、どうだろう。より密度が濃い子どもの世界の中で、娘は何を確かなものとして生きているんだろう。(ミュージシャン)
なるほど!
グッときた
もやもや...
もっと
知りたい