野山で思いっきり遊んで 福島から米沢へ往復100キロ保育

長久保宏美 (2018年8月21日付 東京新聞朝刊)

 東京電力福島第一原発事故後、福島市のNPO法人が毎日、山形県米沢市まで片道50キロの道のりをワゴン車で通い、子どもたちの野外保育を続けている。事故から7年以上が経過した現在も「遠距離保育」を続ける理由は…。

森の中の木に登って遊ぶ子どもたち=山形県米沢市で(NPO法人青空保育たけの子提供)

「セシウムがあるから無理」

 「原発事故による放射線を気にすることなく、子どもたちに外で思いっきり遊ばせてやりたいから」。NPO法人「青空保育たけの子」の辺見(へんみ)妙子代表(57)は言う。

 法人を設立したのは2009年。福島市内の自宅を拠点に、当初は3歳児を預かり、徒歩やバスで最寄りの公園や里山に出掛けた。森の木々に触れ、公園で泥だらけになって遊ぶ子どもたちの生き生きとした姿を見て「これこそが本来の子どもの姿」と思ってきた。

 しかし、原発事故で状況は一変。県によると、福島市は事故発生直後、空間放射線量が毎時20マイクロシーベルトを超える時間帯があった。

 「事故の状況について、政府がマスコミを通じて言っていることと、インターネットの情報との間に乖離(かいり)があった。ここにいて安全か、危険か。放射性ヨウ素の半減期は短いから、(野外保育は)続けられるかと思ったが、半減期が比較的長い放射性セシウムがあるから無理だと思った」

再会を望む声

 事故から2カ月ほどたつと、いったんは県外に避難した母親らから、「たけの子」の再開を望む声が寄せられるようになった。だが、福島市内の民間の支援団体から線量計を借り、市内での野外保育を試みると、公園の芝の上で毎時6マイクロシーベルトあり、断念した。

 転機は事故の7カ月後。活動拠点となる米沢市内の施設を無料で使えることになった。ボランティアスタッフの自家用車を使い、片道1時間以上を通って野外保育を再開した。園児は2~6歳の計16人。現在は広い敷地がある別の古民家を借り、2~6歳の園児が福島市内から常に2人、不定期で4人が通い、米沢市内の4人も加わっている。

 遠距離保育を快く思っていない人もいる。「そういうことをするから、福島はいつまでも危険な場所だと思われる…」と。

 原子力規制委員会の公表データでは現在、福島市内のほとんどの観測地点で、国の除染の長期目標の毎時0.23マイクロシーベルト以下で推移している。

汚染が気にならない自然の中へ

 しかし、問題視しているのは「空間線量ではなく、土壌汚染の方です」。森林の除染は住宅の周辺しか行われず、奥はほぼ手つかずのままだ。野山での保育を貫くには、汚染が気にならない場所が必要だった。

 「自然の中で遊ぶと、生き物に対する感性が高まるんです。カナヘビ、アマガエル、ダンゴムシに触って、図鑑で調べる。異なる年齢の子ども同士が自然の中で遊ぶことで、思いやりの気持ちもはぐくまれるんです」

 スタッフは計7人。運営は保育料と、民間も含めた助成金やクラウドファンディングでの寄付でまかなっている。遠距離保育の移動経費を、保護者には負担させない。

 「事故まで、私は原発の危険性について、特に何も考えていなかった。事実上、(原発を)容認していたということ。今生きている大人たちが、責任を負うべきだとも思います。だから、子どもたちが心身共にストレスなく遊ぶための経費は、いただかないことにしています」

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