講談師 旭堂鱗林さん 真面目な公務員一家から「突然変異」で笑いのプロに 

(2019年2月24日付 東京新聞朝刊)
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育った家庭について語る旭堂鱗林さん(太田朗子撮影)

「遺伝なんですか」と聞かれた父は…

 両親と祖父母、3歳上の兄の6人暮らしでした。父、祖父ともに公務員という公務員一家。自分で言うのもなんですが、とっても真面目な家庭環境で育ちました。なのに、私は26歳でタレントになり、いまは講談師として活動しています。何かの時に、父が「面白さは遺伝なんですか?」と聞かれたことがありました。真面目な父は、「いえ、突然変異です」と答えていました。あれは忘れられませんね。

 父は、自分にも家族にも厳しかった。とにかく何でも自分のせいにしなさいと言うんです。他人のせいにしてはいけないと。例えば私が風邪をひいたときも、いたわってくれるどころか、怒られるんです。体調管理が悪いって。一番びっくりしたのが、高校生のときに駅の駐輪所で自転車を盗まれたことがありました。これは100パーセント盗んだ人が悪いと思うでしょう。それでも私が怒られました。鍵はかけてあったけれど、自転車が少しはみ出していたんじゃないか、盗っ人の気を引くような置き方をしていたんじゃないかと。

「うちの母が笑ったら笑ってください」

 思春期には反発したこともありますが、社会人になって父の厳しさの意味がわかるようになりました。何かあっても、「私が悪いんだな」と反省できる。それは、講談の修業でも生かされています。

 大阪に通って講談を習い始めたころ、年2回の発表会があって、両親が見に来てくれました。父は心臓が口から飛び出るくらい緊張したみたいです。母はニコニコしていて、あまりうけなかったときは周りの人に「いまは笑うところですよ」。それが、私にまで聞こえてきました。そこで、私もお客さんに「うちの母が笑ったら笑ってください」と、頼んだこともあります。

 いまは場数を踏んで、だいぶ笑いが取れるようになりました。名古屋でもやるので、母は月1、2回は見に来てくれます。顔がそっくりで、常連さんはみんな母のことを知っている。用事でいないことが続くと、「最近来ないね」と心配されるほどです。

いくつになっても娘は娘なんですね

 母がすごいのは、講談に来る前に必ず「手伝わなくていい?」と聞くんです。ことし73歳ですが、いつまでたっても娘は娘なんですね。

 実家は自宅から歩いて10分なので、頻繁に会いに行きます。私は体が勝負なので、すごく体調を気遣ってくれます。ことしはインフルエンザがはやったので、「梅干しを食べなさい」と言われます。母が言うには、一番かぜをひきにくい都道府県は和歌山県で、毎日梅干しを食べているからだそうです。そう言われ、本当に毎日梅干しを食べています。

旭堂鱗林(きょくどう・りんりん)

 1973年、名古屋市生まれ。2006年から上方講談師の旭堂南鱗さんの道場に通い、2009年に古池鱗林としてデビュー。2016年に旭堂一門に認められて旭堂鱗林となり、名古屋を拠点に活動している。地元の愛知県出身の将棋界の新星を題材にした「藤井聡太物語」など、創作講談も手掛ける。

元記事:東京新聞 TOKYO Web 2019年2月24日

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