「障害児の学童保育の開拓者」が振り返る40年 小平市の「ゆうやけ子どもクラブ」村岡さん 子どもが心を開き成長する姿が励みに

花井勝規 (2020年6月22日付 東京新聞朝刊)
子育て世代がつながる
 自閉症や知的障害などがある6~18歳の子どもが学校帰りに集う東京都小平市の「ゆうやけ子どもクラブ」。NPO法人が市内3カ所で運営し、68人が通う。2012年の改正児童福祉法の施行で民間の新規参入が増え、全国約1万4000カ所に及ぶ「放課後等デイサービス事業所」の1つに数えられるが、「障害児の学童保育分野の開拓者」として知られ、その存在感はひときわ大きい。代表の村岡真治さん(61)に話を聞いた。

「障害者=車いす」の思い込みが覆された

 クラブの歴史は、代表の村岡さんの人生の歩みそのものだ。ボランティア組織として発足したのは42年前の1978年。村岡さんは大学に入学したばかりで、先輩に誘われ、訪ねた小平市の福祉作業所が活動場所だった。

 学生ボランティアらと一緒に遊び、走り回る障害児たちの姿に驚いた。「障害者=車いすの身体障害者という自分の思い込みが覆され、ショックを受けた」。そのまま初期メンバーに加わった。

大学卒業後、中学校の教員になったけれど

 閉じこもりがちな障害児らが、クラブでの遊びや集団活動を通じて少しずつ変わっていく。成長に喜びを感じながら「ボランティアではいずれ限界が来る」との危機意識も芽生えた。保護者らと協力し、市や市議会に都の補助制度活用を働き掛けた。翌79年、年間260万円の補助金が下り、安アパートの一室に事務所を置いた。口コミでクラブの利用者は増え、活動日も週1日から2日に増やした。障害児の受け皿が現在に比べ格段に少なかった時代。放課後活動の場をつくる動きが、その後各地へ広がるきっかけにもなった。

 大学卒業後は英語教師になり、クラブを離れて横浜市の中学校で教壇に立った。だが、学生仲間たちも卒業を機に離脱していく中で「自分にはやり残したことがある」との思いが強まり、家族の反対を押し切って1年で教師を辞め、小平市に舞い戻った。

拠点もスタッフも増え「明日も頑張ろう」

 「振り返れば、初期メンバーで踏みとどまったのは自分1人だった」が、クラブの利用希望者は増え続け、1986年に第1号の正規職員に就任。1993年には活動日を週5日に拡大し、1997年には元公民館に入居して、常設のクラブとして新たに出発した。NPO法人が発足した2001年に2つ目、2013年に3つ目の拠点を開設。現在はスタッフ約50人を抱え、活動の幅は広がっている。

 40年以上の経験を重ねた今も、子どもたちが心を開き、たくましく成長していく姿に何より励まされる。「明日も頑張ろう」。そう奮い立つ毎日だ。

村岡真治(むらおか・しんじ)

1958年、山口県生まれ。上智大学外国語学部卒。障害児放課後グループ連絡会・東京の会長、障害のある子どもの放課後保障全国連絡会(全国放課後連)の副会長を務める。著書に「まるごと入門 障害児の人格を育てる放課後実践」(全障研出版部)など。

元記事:東京新聞 TOKYO Web 2020年6月22日

あなたへのおすすめ

PageTopへ