「おしいれのぼうけん」の田畑精一さん追悼展 豊島区のギャラリーで29日まで
絵本原画や人形劇の人形など120点を展示
「おしいれのぼうけん」「さっちゃんのまほうのて」など長年人気を集める絵本や紙芝居、挿絵などの原画のほか、田畑さんが絵本に取り組む以前に制作に携わった人形劇「春楡(チキサニ)の上に太陽-アイヌの民謡-」「日本むかしばなし さるかに」の人形など約120点を展示している。
田畑さんは1931年大阪市生まれ。原子物理学に興味を持ち、京都大理学部に入学したが、「原子物理学は人間の幸せにつながるのか」と疑問を抱くように。人形劇団プークの公演を見たのをきっかけに、「生きることの素晴らしさを伝えたい」と人形劇の道を選ぶことを決め、大学を中退してプークに参加した。その後、児童文学者の古田足日さん(故人)と出会い、絵本の世界に入った。古田さんとの作品「おしいれのぼうけん」はロングセラーになった。
童心社会長の酒井さん、最期の様子を語る
初日の24日には関係者のみのささやかなオープニングセレモニーが開かれた。
出版社の童心社会長の酒井京子さん(74)は「生前から田畑さんは『生きたと言える人生を送りたい』と話していた。展示している作品をみて、そういう人生を送ったのだなと感じた」とあいさつした。酒井さんは編集者として田畑さんの作品を担当し、親しく付き合ってきた。田畑さんが息を引き取る瞬間にも立ち会った。病院の看護師から「田畑さんの生涯は素晴らしかった。拍手で送りましょう」と声をかけられ、酒井さんたち3人の編集者で、田畑さんの胸元や足下に摘んできた紫陽花の花を添え、拍手で見送ったという。「市井の人たちにも慕われていた。誰にでも優しく、とても人徳のある人だった」
「さっちゃんのまほうのて」「ピカピカ」(ともに偕成社)の編集担当をしていた安彦道代さん(76)は、「さっちゃんのまほうのて」が出版までに5年かかったことを回顧。田畑さんは、先天性四肢障害児父母の会のスキーキャンプにも参加し、子どもたちにスキーを教えたり、父母たちとは宴会をしたり、納得がいくまで付き合ってお母さんたちと一緒に文章を考えて作り上げたという。「とにかく取材を徹底する人だった。出版後も講演会に参加したりなどずっと付き合いが続いた」と懐かしんだ。
アーサー・ビナードさん「絵が彫刻のよう」
紙芝居「ちっちゃい こえ」(童心社)の制作時にアドバイスをもらったという詩人のアーサー・ビナードさん(53)は、「田畑さんは、衝撃を受けた絵本作家の一人。絵が彫刻のようで、触れたら感触があるよう。それは人形劇を作ってきたということが土台なのではないか。触って、もんで、骨格や豊かな表情を描いてきた人だ」と尊敬の気持ちを語った。
29日まで。午前11時~午後6時(入場は午後5時30分まで、最終日は午後3時まで)。東京都豊島区南池袋2のギャラリー路草。大人1000円、高校生以下無料。問い合わせは童心社編集部=電話03(5976)4402=へ。
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