『倉橋惣三物語 上皇さまの教育係』が刊行 ひ孫が調べ、描いた「近代幼児教育の父」の一代記
子どもの個性認め、自発性を尊重
「常に子どものことを思っていた。彼らに寄せる言葉は何とも優しく、温かい」。児童読み物を多数手掛ける燿子さん。夫は惣三の孫だ。だが本人に会ったことはなく、3年前に知人から惣三の功績を知らされて初めて著作に向き合うと、子どもへ注ぐ愛情の深さに圧倒されたという。
惣三は東京帝国大を卒業後、欧米の発達した保育理論を研究する学者に。お茶の水幼稚園の園長も務め、子どもに1人の人間としての個性を認め、彼らに備わる豊かな自発性を尊重する幼稚園教育の理念を実践。評判は昭和天皇にも伝わり、皇太子、現在の上皇さまの教育係として出仕した。
そうした史実を追うべく、関連する論文や資料に可能な限り目を通した。そこに出てくる出来事を、段ボール箱5、6箱分にもなる著作や日記などの遺品から知ることのできる事実とつないでいった。
偉人ではなかった 人間くささが魅力
物語は浅草での小学生時代から始まる。「士族出身の惣三が江戸っ子と友達になった。家業を手伝う子もいれば、芸者を夢見る子もいる。さまざまな個性の子どもとの出会いは刺激になったはずです」と麻生さん。この頃の資料は少なく詳しくは不明だが、子どもの個性と可能性に関心を持つきっかけが浅草の経験だったのではと見立て、親族だからこそ知る口伝のエピソードを加えながら、少年期の惣三像を肉付けした。
惣三の魅力は人間くささだと燿子さん。子どものころは運動が苦手で引っ込み思案、大人になっても子育てに悩む父親で、論敵も多かった。「偉人ではなかったからこそ物語に『山』と『谷』が生まれ、読者を引きつける読み物になったのではと思います」
「おじちゃん」と名乗る園長先生
園長時代の惣三には引きつけられる。「おじちゃん」と名乗り、砂場で園児と一緒にしゃがんで遊んだ。戦中は「戦時託児所と名前を変更しなければ閉園せよ」との要請を拒み続けた。「小さな非戦闘員の可憐(かれん)な魂から、地獄の怯(おび)えを除く」と。
子どもは誰しも計り知れない可能性の種を持っていると信じた惣三。「一人一人が大事というまなざしを、今の多くの人に知ってほしい」と話す。講談社・1980円。
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