定着したフリースクール 卒業していった若者たちは今 「通った体験があって今がある」

長田真由美 (2020年12月25日付 東京新聞朝刊)

不登校の先に

 不登校の子どもの居場所の一つとして定着した民間施設「フリースクール」。“卒業生”はどんなふうに過ごして、その後の進路を決めたのだろう。名古屋市内のフリースクール「まなび場」を経て、現在は保育士や看護師として活躍す2二人に、そこでの経験が自分をどう変えたかを聞いた。 

1年間で3カ所を転々と

 「学校に行きたくても行けなかった私にとって、初めて自分らしく人と接することができた場だった」。名古屋市内の保育施設で働くリコさん(22)=仮名=は振り返る。友人関係がうまくいかず、中学2年から不登校になった。1カ月ほど家で漫画を読んだりテレビを見たりして過ごしたが、母親が「同世代と関わってほしい」と、インターネットで「不登校 居場所」などの言葉で検索を始めた。自分も「楽しい思い出をつくりたい」と一緒に探すようになり、フリースクールの存在を初めて知った。

 近くの施設に通い始めたが、周囲と合わなかったり、同世代がいなかったりして、1年間で3カ所を転々とした。母親の知人に紹介され、3年の時に出合ったのが「まなび場」だった。

フリースクール
 主に不登校の子を受け入れる民間の施設。個人やNPO法人、ボランティア団体などが運営し、全国に300カ所以上あるとみられる。学習や自然体験など活動内容は施設によって異なる。文部科学省は昨年10月、フリースクールでの学びを学校長の判断で「出席扱い」とする通知を出した。

プログラム、参加は強制しない

 まなび場は元教員の幸(ゆき)伊知郎さん(60)が運営。今は小学生から20代まで男女17人が平日の午前と午後に分かれて通う。英会話や理科の実験など時間は大まかに決まっているが、参加は強制しない。山登りやお菓子作りといった行事もある。

 初めの頃は漠然と「楽しめたらいいな」と思っていたリコさん。週に1度、1時間前後の「対話」を重ねるうち、自分が変わっていくのを感じた。対話は、自分の考えや悩み、問い掛けたいことなどを、仲間と自由に語り合う時間。「人の顔色をうかがわず、自分の思いを言っていいんだと思えるようになった」

 昨年から市内の病院で看護師として働くヒヨリさん(24)=仮名=も同級生や教師との人間関係から逃れたくて、中学3年で不登校に。母親が「自分を殺してまで行く必要はない」とまなび場を見つけてくれ、毎日通うようになった。

 仲間たちとは工作やオセロ、時にはキャッチボールもした。「勉強は全然しなかった」と笑う。対話では年上の大学生と話す機会もあり、考え方が広がった。人と仲良くなると距離感が分からなくなり、言葉がきつくなることにも気付いた。「通った1年は『充電』というほど優しい時間ではなかった。だけどあれがあって、今の私がある」

エネルギーをためることが大事な時期もある

 ただ、幸さんは「休んでエネルギーをためることが大事な時期もある」と焦らないよう言う。「合う、合わないはある」と話し、フリースクール以外の居場所があることも否定しない。

 二人とも定時制高校への進学とともに、まなび場を“卒業”。リコさんは「不登校の頃、まなび場の友人ら周りに助けられた。誰かを支えて恩返しをしたい」と短大に進み、今春、保育士の夢をかなえた。ヒヨリさんは看護師だった母の勧めもあり、看護学校へ。「以前は勉強に対するモチベーションが持てなかった」と振り返る。今は「医療は常に勉強しないといけない。われながら変わったと思う」とほほ笑む。

 「不登校の経験があったから、また困難なことがあっても乗り越えられる」と2人は言う。人間関係で嫌な思いをしても「新しい場所を探せばいい」と。「自分らしくいられることが大事」。そう語る2人の言葉には力がこもっていた。

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