「医師は逃げずに真実を語ってほしい」2歳の息子亡くした両親、6年8カ月の思い 東京女子医大の鎮静剤投与

奥村圭吾、木原育子、天田優里 (2020年10月22日付 東京新聞朝刊)
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仏壇の横には孝祐君の写真やおもちゃが飾られている=17日、埼玉県内で

 6年8カ月-。東京女子医大病院(東京都新宿区)で2014年、埼玉県の男児=当時(2つ)=が鎮静剤「プロポフォール」の投与後に死亡した事故で、医師6人が書類送検された21日は、亡くなった孝祐(こうすけ)君の月命日だ。「どうして死ななくてはいけなかったのか」。自問自答を続けてきた両親は「今後の捜査で必ず真実を明らかにしてほしい」と願った。

信頼できる、と選んだ病院だった

 「事故が私たちの宝物を奪ったんです」。50代の父親は自宅の仏壇の前で、膝の上で握ったこぶしを震わせた。部屋にはブランコに乗る笑顔の孝祐君の等身大写真や、おもちゃ、絵本が飾られている。

 うどんやイチゴが大好物だった。元気だけど甘えん坊で、いつも抱っこをねだった。「きっと一生分、抱っこさせてくれたんだよね。本当のことが分かるまで絶対に諦めないよ」。遺影に語り掛けた。

 孝祐君の病名は頸部嚢胞性(けいぶのうほうせい)リンパ管腫(かんしゅ)。良性の腫瘍だったが、幼稚園に入る前に「首の膨らみを取ってあげたい」と親心で手術を受けさせた。インターネットで手術歴を調べ、「信頼できる」と東京女子医大病院を選んだ。

爪と髪の毛のお守り 肌身離さず

 「メスも使わない、たった7分の手術」(父親)だった。医師から「念のため」と言われ、ICUに入った。説明なしに人工呼吸器を付けられ、プロポフォールを投与され続けた。高熱や褐色の尿が出て、体はむくんでいった。手術3日後の2014年2月21日午後7時59分、孝祐君は亡くなった。

 あまりに突然だった息子の死。40代の母親は意味を理解できず、涙さえ出なかったという。「事実を受け入れられないまま生きてきた」。小さなお守りを握り締め、この6年8カ月を振り返った。胎児の形をした勾玉(まがたま)とわが子の爪と髪の毛を入れたお守りは、医師らを相手取った民事訴訟の法廷に立つときも肌身離さず持っていた。

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母親が肌身離さず持っているお守り

 「孝祐が生まれてきてくれたことで、自分より大事な存在があるって気付かせてくれた」。今では母親だった時間より、母親でなくなった時間の方が長くなった。「孝祐は、医師たちがしたことを受け止めて亡くなった。医師たちもこの事実を受け止め、逃げずに真実を語ってほしい」

元記事:東京新聞 TOKYO Web 2020年10月22日

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