前神戸薬科大学長 北河修治さん パーキンソン病でも学長業を頑張れたのは、妻のおかげです

三浦耕喜 (2020年10月25日付 東京新聞朝刊)

家族のこと話そう

神戸薬科大学長時代に撮影、同大提供

診断から13年 6年間の激務

 神経の難病「パーキンソン病」と診断され、13年近くになります。真面目で融通の利かない私の性格は、名古屋出身の父親と、9年前に亡くなった山口県出身で長州人の気質を持つ母親譲り。今考えると、その性格があったからこそ、昨年3月までの6年間、病と付き合いながら、東奔西走する学長の激務に人一倍頑張れたのだと思います。

 それにも増して信頼する妻の支援もあればこそ、務め上げることができました。妻とは最初の職場の徳島大で知り合いました。私が助手をしていた研究室に大学院生として入ってきました。

基本は「自分のことは自分で」

 パーキンソン病は、薬の量が多すぎると、震えたり、腕を振り回すなど、自分の意思とは無関係に体が動く症状が出るので、さじ加減が大切。指先も不器用になり、ワイシャツの袖のボタンも自分一人では、留めにくくなってきます。家族が大変だと思われるかもしれませんが、妻はあまり介護や世話をしてくれません。基本的に「自分のことは自分で」。ですが、人間、工夫すれば何とか自分でできるもので、時間はかかりますが、自分で対応しています。朝食も私の担当なんですよ。

 一方で、預貯金の管理や著書の印税などの確定申告、福岡に住む息子家族との日常的なやりとり、マンションの自治会活動などは全て妻がこなしてくれ、私は学長業に専念できました。入学式、卒業式の式辞のチェックも妻に頼みました。妻を信頼し、基本的な考えで一致しているところがあるからだと思います。

 人は性別や人種の違いで差別されてはいけないし、障害のある人も病気の人も区別なく、一緒に暮らせる優しさのある社会こそが活気もあり、理想だと思っています。妻に最も助けられているのは、そうした同志、パートナーとして感情的にもバックアップしてくれること。時として自分を見失い、甘い考え方をする私を叱咤(しった)激励してくれます。

作り笑いでも、笑顔が力になる

 ただ、お互いの老化、私の病気の進行とともに妻とのコミュニケーションが取りづらくなっています。私は筋肉が硬直し、大きな声ではっきり話す事がだんだん難しくなってきました。何でも2人で日頃から話し合うことが大切なので、私は好きな歌を歌って声を出す訓練をしています。

 作り笑いでもいいから笑顔になると、足を踏ん張る力が出てくる気がします。学長時代に学生たちから「笑顔を忘れないでください」とよく言われましたが、これからも心掛けたい。妻の協力を得ながら、薬学研究者として体が動く限り、臨床現場で生かせる薬学の基礎知識を土台にして患者に向き合う人材の育成に努力を続けたいと思います。

北河修治(きたがわ・しゅうじ)

 1951年、島根県出雲市生まれ。京都大大学院薬学研究科修士課程を修了後、徳島大助手などを経て、2006年に神戸薬科大教授となる。2008年、左足の運動障害に気付いたのをきっかけにパーキンソン病と診断された。服薬を調整しながら勤務を継続し、2013年から昨年3月まで同大学長を務めた。

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