レスキューストックヤード代表理事 栗田暢之さん 実家の寺での炊き出しが被災地支援の原風景

佐橋大 (2020年8月30日付 東京新聞朝刊)
子育て世代がつながる

家族のこと話そう

写真

(橋場翔一撮影)

安八豪雨で振る舞った、しゃびしゃびのカレー

 実家は岐阜県瑞穂市の真宗大谷派の寺。両親はすでに亡くなり、私が住職をしているのですが、小学生のころに家族で経験した水害が、今の活動に通じています。

 1976年9月の「安八(あんぱち)水害」。豪雨で長良川の堤防が決壊し、寺も床下浸水しました。5世帯が避難してきて、父が本堂を開放。母や2人の姉らがみんなのカレーを作りました。限られた材料だったので、しゃびしゃびで。でも一生懸命作っていました。

 当時、父は銀行の支店長もしており、部下の人が、水につかりながら救援物資を持ってきてくれました。地域やボランティア精神にあふれる人が支え合い、災害から立ち上がった。原風景として、今も心の中にありますね。

 災害支援にかかわるきっかけは阪神大震災。当時、大学の事務職員をしていたのですが、学生たちが「被災地のために何かしたい」と言っているのを知り、被災地へ引率しました。学生たちは炊き出しで、被災者に何を食べたいのかを聞いていた。助ける側の都合ではなく、相手の立場で対応する。そのボランティア精神に触発されました。

心配性の母、厳格だが自主性尊重してくれた父

 その縁で被災地支援に関わった東海地方の人で、地元の災害に備えようとボランティアのネットワークを構築。愛知県とも協定を結び、2000年の東海豪雨では、当日からボランティアの受け入れ態勢を整えました。昔のような地縁、血縁が薄くなっている現代、「ボランティア縁」は重要です。経験を生かそうと、大学をやめ、NPOをつくりました。

 当時、まだ健在だった両親に相談すると、母は心配ばかりしていましたが、父は「自分で決めればいい」と。厳格な人で、子どものころはご飯を一粒でも残すと怒られましたが、跡取りの私を自由奔放に育ててくれた。感謝です。

東海豪雨直後に挙式「結婚自体がボランティア」

 妻(44)は大学職員時代の元同僚で、東海豪雨の約1カ月後に結婚式を挙げたのですが、相談すると、「あなたしかできないでしょ」。言い出したら聞かない性格を分かってくれていたのでしょう。将来の生活設計も立たないのに、よく言ってくれた。ある晩、家に帰ると取材の電話に妻が応対していた。「奥さんはボランティアをしないのか?」という質問に、「結婚自体がボランティア」と。ユーモアと度量がある人です。

 高校3年の長女と小学6年の長男がいますが、幼いころからなかなかそばにいてあげられなかった。災害で不安なときに父親がいないのはつらいと思います。東日本大震災でもしばらく家に帰れなかった。それでも活動は理解してくれていると思います。
 存分に活動できるのも家族のおかげ。頭が下がります。

栗田暢之(くりた・のぶゆき)

 1964年、岐阜県瑞穂市生まれ。名古屋大大学院修士課程修了。2001年に、災害支援の民間団体「レスキューストックヤード」を設立、2002年にNPO法人の認定を受けた。設立以来、専従職員として、約50カ所の地震や水害などの被災地で支援活動をする一方、防災活動にも取り組んでいる。

[元記事:東京新聞 TOKYO Web 2020年8月30日

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