【新連載】他愛ない日常の中にこそ〈瀧波ユカリ しあわせ最前線〉1
夕刻、すれ違う「子乗せ自転車」に
夕暮れ時に街を歩いていると、何台もの「子乗せ自転車」とすれ違う。前か後ろ、あるいは両方のシートに、ヘルメットをかぶった子どもが座っている。運転する親は背筋を伸ばし、注意深く自転車をこいでいる。すれ違いざま、お母さんが子どもの好きな歌を歌っていたり、お父さんがこのあとスーパーに寄ることを言い含めたりしているのが、一瞬だけ聞こえる。
子どもは、園でたっぷり遊んだからか満足げにしていたり、ほとんど寝ていたり、ちいさな手でおもちゃを握っていたりする。振り返ると、速くてもう遠い。1台の自転車に乗った家族は、文字通り家路を急いでいるのだ。
私が子乗せ自転車に乗っていたのは、もう10年以上も前だ。娘が1歳半から3歳くらいまでの間、保育所への送りに使っていた。当時住んでいた札幌の中心街を東から西へ、片道10分ほどだろうか。自転車をこぎながら、西の彼方にそびえる山を見ていた。娘のピンクのヘルメットが揺れていた。
小さな保育所に娘を預けると、近くのカフェにかけこんで仕事をした。ピンクの小さなヘルメットを、カフェの椅子に引っかけて。送りのことは覚えているが、迎えの記憶がほとんどない。きっと、夫が担当していたのだろう。そのうち車を買い、子乗せ自転車は友達に譲った。
忙しい日々の中で親は悩むけれど
子育てとは幸せなものである、幸せでなければいけない。そんな固定観念はだれの心の中にもあって、時に親たちを苦しめる。こんなにあわただしい毎日でいいんだろうか、今の生活が幸せだと言えるだろうか。仕事に家事に忙しい日々の中で、そう悩んだことのある親は多いだろう。
だけど街で子乗せ自転車とすれ違った時や、山とヘルメットが陽光に輝いている自転車上の光景を思い出す時、私は思う。幸せとは、そんな他愛ない日常の繰り返しのことなのだろうと。
さっきすれ違った子乗せ自転車の親子は、きっともうすぐ家に着く。親は子どもを抱いてシートから下ろす。家に入り、一緒に手洗いうがいをする。いつものテレビを見せながら、急いでごはんの支度をする。パートナーも帰ってきて、支度に加わるかもしれない。ごはんを食べさせ、お風呂に入れて、合間に片付けをして、寝かしつけをする。寝息を立てたらそっと離れて、リビングに戻る。冷蔵庫からジュースかビールを取り出し、やっと一息つく。
その背中に、できることなら声をかけたい。あなたは今日を戦い抜いた勇者です。そして、今そこが幸せの最前線なんですよ。
瀧波ユカリ(たきなみ・ゆかり)
漫画家、エッセイスト。1980年、北海道生まれ。漫画の代表作に「私たちは無痛恋愛がしたい~鍵垢女子と星屑男子とフェミおじさん~」「モトカレマニア」「臨死!! 江古田ちゃん」など。母親の余命宣告からみとりまでを描いた「ありがとうって言えたなら」も話題に。本連載「しあわせ最前線」では、自身の子育て体験や家事分担など家族との日々で感じたことをイラストとエッセーでつづります。夫と中学生の娘と3人暮らし。
なるほど!
グッときた
もやもや...
もっと
知りたい
ジーンと来ました…( ; ; )
私自身も下は0歳、上は小学生を育てていて、子育ての真っ只中なのに、もう懐かしいことがたくさんあり、戻りたいなぁ。あのころの我が子に会いたいなぁ。なんて思ったりします。
10年後にはきっと、乳幼児を連れた家族を見て、懐かしいな、戻りたいなと、思う様になるんでしょうね。そんな想像をしてしまいました。
たわいのない今の毎日を大切に、そんな毎日を頑張っている自分に時々拍手をおくりながら、過ごしたいと思いました。素敵な文章をありがとうございました。
シンママになりたてで幼稚園に上がった娘を自転車に乗せて、押しながら歩きUターンしようとしたら、重い電動自転車のバランスを崩して、倒してしまい、母子共に負傷。娘は腕にギプス、私はあざだらけ。助けもなく、罪悪感と自己嫌悪で死にたくなった。けど嘆いていても仕方ない。
後遺症も出ないように、遠くの評判のいい整骨院まで通院しきちんと治した。必死だった。
今でも子を乗せたお母さんを見かけるとチクリとする。
歯を食いしばって1人で育て上げた娘は頑張り屋で海外の名門大学まで出て、現在日本の就活に翻弄されている。
世の不条理から大切な娘を生涯、守り抜く事はできないけど、自立してたくましく生きる知恵を付けさせたいし、中年期の私の有り様もまた未来の彼女の手本になるのだと楽観と堅実さを心がけている。
産んだその日から常に子にモチベーションと人生の意味を与えられ、私が生かされている。それが幸せという事なんだなぁ。