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日本障害者協議会代表 藤井克徳さん 全盲もまんざらでもない 

(2019年1月13日付 東京新聞朝刊)

家族のこと話そう

母親から受けた影響などについて語る藤井克徳さん(坂本亜由理撮影)

原点「就学が認められないのはおかしい」

 もともと弱視でしたが、40代で全盲になりました。新聞の大きな見出しが読めなくなり、活字と別れたことに気付きました。さすがに打ちひしがれましたが、妻(66)や多くの人たちの手助け、音声の出るパソコンとの出合いがあり、仕事を続け、年に1度は本も出版しています。

 障害者の人権へのこだわりは、東京都立小平養護学校(現小平特別支援学校)に勤めていた経験からです。当時は翌年度の入学者を各学校が選考していました。定員を超えると、最後は職員会議での多数決。ベテラン教員を含め80人ほどいる場で、足が震えましたが「教育を受けるのは権利なのに、多数決で決めるのはおかしい」と言いました。次第に定員を超過しても受け入れ、都内では1974年度から希望者全員の就学が認められました。勇気を持って発言したことが、その後の活動の原点になりました。

子どもたちに見せられた、等身大の自分

 一方、卒業後に障害者が働く場、集う場がないことも気にかかっていました。特に、精神障害者が行き場がないと、生活リズムが崩れ、調子が狂ってしまいます。32歳で退職し、在職中から関わっていた共同作業所づくりに専念しました。

 安定した仕事がなくなり、収入は半減。家族は反対しましたが、生き生きしていく障害者たちの顔を見ると、やってよかったと思えました。当時は、家族と過ごす時間もなかったですが、作業所の年1度のバザーなどに、子ども2人にも来てもらっていました。仏壇から野菜、車まで何でも売り物にする企画を見て「何か、面白いことをやってるな」と思ったようです。等身大の自分を見てもらえたかなと思っています。

目ではなく、心で「観える」ものがある

 私の母(92)も困っている人や、差別されている人を大切にする感覚がある人でした。すでに亡くなった父がマンガン鉱山の採掘を始め、福井市から、小学4年の時に滋賀県の山奥、野洲川ダム付近に移りました。村外れに、鉱山で働く在日朝鮮人の家がありました。関わろうとしない人も多かったのですが、母は「そこの子たちとも一緒に遊ぶんだよ」と言いました。集落に物乞いが来た時も、うちも貧しくて食べ物がないのに、ご飯をあげていました。

 今は全盲もまんざらではないと思っています。目以外で感じ、イメージし、記憶する力は弱視の時より増しています。目ではなく、心で観(み)えるものがあるという心境です。初めての人と会う時は弱視の時に接した人の声から、目の前にいる人を類推しながら話しています。妻の顔も25年前のまま。妻にとってはいいかもしれませんね。 

ふじい・かつのり

 1949年福井市生まれ。東京都立小平養護学校在職中から障害者が集い、働く「あさやけ作業所」開設などに参加。77年、共同作業所全国連絡会(現きょうされん)を結成。現専務理事。近著は「わたしで最後にして-ナチスの障害者虐殺と優生思想」(合同出版)。

元記事:東京新聞 TOKYO Web 2019年1月13日