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ラグビーW杯アンバサダー 広瀬佳司さん 「トップになるなら、人間的にも立派になれ」 父の言葉、今も大切に

植木創太 (2019年9月8日付 東京新聞朝刊)

家族のこと話そう

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家族の思い出を話す広瀬佳司さん(内山田正夫撮影)

きっかけは「スクール☆ウォーズ」モデル校の名勝負

 小学校2年生で競技を始めました。きっかけは、父に連れて行ってもらった1981年の第60回全国高校ラグビー選手権大会の決勝戦。舞台は花園(大阪府)。テレビドラマ「スクール☆ウォーズ」のモデルにもなった伏見工業(現・京都工学院)と大阪工業大(現・常翔学園)の名勝負でした。座った席は、伏見工業のベンチの真後ろ。選手のぶつかり合いを間近で見ました。トライが決まると、スタンドは総立ち。その一体感と迫力に憧れたことが、今の自分の原点になっています。

 父は高校時代、ラグビー部でした。部員数もぎりぎりのあまり強くない学校だったようですが、競技愛は強く、家ではいつもラグビー雑誌を読み、テレビで試合が流れると食い入るように見ていました。私は4人きょうだいの末っ子でしたが、姉や兄は興味がなかったようで、付き合うのは、いつも私でした。

「なぜあのプレーをした」日曜の食卓は説教の連続

 私が地元のラグビースクールに通うようになると、父はスクールの指導員になりました。週末が練習なので、日曜日の食卓は「なぜあのプレーをしたんだ」という感じで説教の連続。幼い頃は、テレビで「サザエさん」が流れている時間に、あまりいい思い出がありません。

 家の前でも一緒に練習しました。指導の多くは礼儀や立ち居振る舞いについてです。「上には上がいると思い、常に謙虚でいなさい」とか、「トップ選手になるなら競技者としてだけでなく、人間的にも立派になれ」とか。人としての道を伝えたかったんだと思います。どれも自分の中で今も大切にする言葉です。

代表外から返り咲き 末期がんの父への感謝を胸に

 日本代表として、3度目のラグビーワールドカップ(W杯)に出た直後、父はがんで亡くなりました。当時の私はもうベテランで、予選は代表外。チームにけが人が続き、最後の最後で代表に返り咲きました。父はこの頃、すでに末期。最後に雄姿を見せるんだ。選出された際に、心の底から気合が入ったのを覚えています。薬の影響もあって意識ももうろうとしていたので、どこまで見てくれていたのかは分かりません。でも父への感謝を胸に、死に物狂いでプレーした大会でした。

 それから16年。日本にW杯がやってきます。現在「ラグビーワールドカップ2019アンバサダー」の一人として、競技の啓発や大会のPRに携わる日々です。私は手に汗握る試合を間近で見て、ラグビーの魅力を知りました。父が見せてくれなかったら、今の自分はありません。代表選手が全力を出し切る姿は勝敗にかかわらず、見る人の感動を呼ぶはずです。ぜひ多くの親子に味わってもらい、ラグビーを好きになってほしいです。

ひろせ・けいじ

 1973年、大阪府生まれ。府立島本高、京都産業大をへて、96年にトヨタ自動車へ入社。ポジションは、チームの司令塔とされるスタンドオフ。正確なゴールキックを売りに活躍し、「スーパーブーツ」の愛称で親しまれた。日本代表キャップは40。1995、99、2003年の3大会連続でW杯に出場。引退後にトヨタ自動車ヴェルブリッツ監督も務め、現在はW杯組織委で勤務。

元記事:東京新聞 TOKYO Web 2019年9月8日