K−1ファイター 大和哲也さん 「人にやられて嫌なことはするな」父の教えが、格闘技でも生きている

平井一敏 (2020年8月23日付 東京新聞朝刊)

家族のこと話そう

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大和哲也さん(岡本沙樹撮影)

小1から高1まで、父と一緒に少林寺拳法の道場へ

 テレビで見た格闘技のK-1に憧れ、中学3年の時にキックボクシングを習い始めました。周りから「出られるわけがない」「やめた方がいい」と言われたけど、僕は「頑張ったら強くなれる。自分次第」と迷わず前を向けた。「やる前にできるかどうかを判断せず、まずは何でもやってみなさい」と、亡き父に教えられてきたから。タイ式キックボクシングのムエタイで世界チャンピオンにもなれ、親孝行できたかな。
 
 不動産業を営んでいた父とは小学1年から高校1年まで週2回、一緒に少林寺拳法の道場に通っていました。僕は幼稚園児のころからブルース・リーやジャッキー・チェンのアクション映画が好きで、父に「空手をやりたい」と言ったら連れていかれた。父は学生時代に少林寺をやっていて、僕が大きくなったら一緒に習おうと思っていたみたい。僕は実は少林寺だとは知らなかったけれど、道着を着て突きや蹴りを繰り出すだけで満足してましたね。
 

共通の趣味で時間を共有して、一緒に成長できた

 
 道場まで家から車で往復1時間。普段は夜遅くまで仕事をしていた父も少林寺の日は早く帰ってきて、2人でほぼ休まず通いました。車の中でいろんな話をしたな。親子演武で大会にも出た。成績は良くなかったけれど。父と共通の趣味を持てたことで、たくさんの時間を共有でき、体と心も鍛えられ、一緒に成長できたと思っています。
 
 小中学生の時はそろばんやピアノ、水泳、野球、サッカーも習っていました。やりたいことをやらせてくれた両親に感謝です。父からはよく「どれも中途半端。道具だけそろえて中身が伴ってない」と言われましたが、いろんなことをやってきたからこそ、本当にやりたいこと、キックボクシングに出合えた。父に褒められた記憶はないけど、出場した国内外のほぼ全試合を見に来てくれ、「哲也攻めろー」って叫んでました。

僕もわが子を、父のように大きな心で見守りたい

 試合でも父の教えが生きている。常々言われていた「人にやられて嫌なことはするな」。格闘技では、自分がやられて嫌なことをすると相手が崩れていく。父の教えと逆のことをすれば勝てる。「人と話すときは相手の目を見ろ」「あいさつ、返事をしっかりしろ」も口癖のように言っていました。
 
 父はがんで約1年半の闘病の末、昨年6月に65歳で他界。大好きだった道着を着せて見送りました。自分も今は小学生と幼稚園児の父親です。かわいい子には旅をさせろ。山あり谷ありの人生の中で自分の道を自分で決めて進んでいく。僕も父のように大きな心で、時に厳しくわが子を見守っていきたい。今の新生K-1でもタイトルを取って、父に報告したいですね。

大和哲也(やまと・てつや)

 1987年、愛知県知多市出身。本名・岩下哲也。17歳でプロのキックボクサーになり、2008年にNJKF日本ライト級王者を獲得。2010年にK-1ワールドマックス63キロ以下級初代日本王者、2014年にWBCムエタイ世界スーパーライト級王者に。大和キックボクシングジム(名古屋市)所属。昨年、同市内にフィットネスジム「Gratiness(グラティネス)」を開いた。
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