フリーアナウンサー 石井亮次さん 最期も笑わせてくれた父 母が遺影に選んだ写真は… 面白い夫婦やなあ

(2020年12月6日付 東京新聞朝刊)
子育て世代がつながる

家族のこと話そう

写真 石井亮次さん

(岡本沙樹撮影)

父のガソリンスタンドでバイト

 5年前に亡くなった父はガソリンスタンドを営んでいました。朝から晩まで働き、「商売人はあいさつしてなんぼ。知っている人がいたら、走って行ってあいさつせえ」と言うような仕事熱心な人。そんな父の背中を見て育ったので、一生懸命働くことが当たり前だと感じていました。


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 高校、大学時代の7年間、父の店でアルバイトとして働きました。当時の経験はアナウンサーの仕事にすごく役に立っています。ガソリンスタンドを訪れる老若男女のお客さんとしゃべるのはコミュニケーションの勉強になりました。「いらっしゃいませ」と大きな声を出すので、自然と発声練習もやっていたのかなと。お客さんに喜んでもらうという点では、アナウンサーもガソリンスタンドの店員も一緒だと思います。

大げんか 仲直りのきっかけは

 一度、父とささいなことから大げんかをして、当て付けのつもりで近所のほかのガソリンスタンドで働いたことがありました。ある日、洗車をしていて「どっかで見た車やな」と思ったら、父の車。驚いて待合室を見たら父がいました。僕が「終わりました」と伝えると、父は「ありがとう」とだけ言って帰っていった。父の方が一枚も二枚も上手だなと。それが雪解けのきっかけになりました。

 父はよくしゃべる、冗談が好きな人で、母がテーブルの脚につまずくと「大丈夫か、テーブルは」と言ったり。お酒の飲み過ぎで肝硬変で亡くなったんですが、意識がなくなって、もうあかんという時、僕が「これまで本当にありがとう」と言うと、「まだ早い」と突っ込まれた。最期まで笑わせてくれました。

 母は、父がビールを手に乾杯をしている写真を遺影用に持ってきました。お酒の飲み過ぎで亡くなったので、さすがにまずいのではと思いましたが、母は「大丈夫。ノンアルコールやから」と言いました。面白い夫婦やなあ。今思えば、こんな家庭で育ちながら、コミュニケーション教育を受けていたのかもしれません。

命日には必ず形見のネクタイを

 父が亡くなったのは、僕が司会を務める「ゴゴスマ」が関東地方でも2時間丸ごと放送されるようになった直後。父は「何を差し置いても仕事や」と言っていたので、葬式に行かず、涙をこらえて生放送に臨みました。その日の関東の視聴率は過去最低の0.9%。霊きゅう車、ちゃうねんから…。

 3回忌の命日、母から渡された父の形見のネクタイを着けてスタジオに立ちました。すると、関東地方の視聴率がライバルの情報番組を初めて超えたんです。亡くなった日は僕を叱咤(しった)して、2年たってから力をくれたんでしょうか。それ以来、命日には必ず父のネクタイを着けています。

石井亮次(いしい・りょうじ)

 1977年、大阪府生まれ。同志社大卒業後、中部日本放送(現CBCテレビ)にアナウンサーとして入社。TBS系の情報番組「ゴゴスマ」では、2013年4月に東海地方限定で放送が始まった当初から司会を務める。2020年3月にCBCを退社し、フリーに。

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