落語家 春風亭昇太さん 兄を通して出合った落語 分からなくて嫌いだったはずが…

佐橋大 (2023年5月7日付 東京新聞朝刊)
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家族について語る落語家の春風亭昇太さん(稲岡悟撮影)

カット・家族のこと話そう

ラテンアメリカ研究会に入るはずが

 2つ年上の兄がいます。僕たちが子どもの頃は、伊東四朗さんのてんぷくトリオなどが人気で、テレビではいろんな面白いことをやっていました。ところが、兄は小学生のころから落語好き。落語の番組をカセットテープに録音して何度も聞いていました。

 一方の僕はそのころ、吉本新喜劇が好きで、落語は何だか分からなくて嫌いでした。兄に「音を流さず、イヤホンで聞いてくれ」と言ったら、兄はすごくいい人なんで「分かった」と言ってくれて。でも、これが気持ち悪い。一人でニヤッとしたり、「へへへっ」と笑ったりする。それが僕と落語の出合いです。

 そんな僕が落語をするようになったのは、本当に偶然です。東海大学に入り、ラテンアメリカ研究会に入ろうとしたら、誰もいない。「もうじき帰ってくるだろうから、それまで、うちの部室で遊んでいきなよ」と、声を掛けてくれたのが、隣の部室の落語研究会の先輩でした。楽しそうだと入り、寄席に連れて行ってもらったら、これがめちゃくちゃ面白くてそのまま続けました。だから、僕が落語家になって家族で一番驚いたのは兄だと思います。子どもの頃、あんなに「落語は嫌い」と言っていたのになんでと。

日本で一番有名な独身者でしたが…

 両親も驚いていました。僕の父は金属会社の研究者で、すごく真面目な人。僕は学生時代、コント、役者、落語とやりたいことが3つありました。両親にも伝えていたのですが、本当に心配するんです。大学4年の時に「落語家になる」と言ったら、一番イメージしやすかったからか、ちょっとほっとした様子で「やりたいことがあるんだったらいいよ」と。当時は景気の良い時代。もしうまくいかなかったら静岡に帰って仕事に就けばいいと思っていました。

 母は、お針子さんでした。僕が子どもの頃から、人に頼まれた着物を縫って、家計を助けていました。僕が落語家になったばかりの頃は、反物は買えても、仕立てるお金がない。でも、実家に反物を送れば、着物や小物など完璧な品物になって返ってくる。本当に助かりました。笑点などにも出演するようになり、家族は喜んでくれていると思います。

 今は、4年前に結婚した奥さまと犬と暮らしています。結婚前、僕はたぶん日本で一番有名な独身者でした。一人の時間がすごく好きで、ずっと一人で暮らしてきましたが、このまま死んでしまうのもどうかと思っていたところにお話があって、一度結婚もしてみようかと。

 彼女が犬を連れてきてくれたおかげで、犬がいる生活の楽しさも知りました。奥さんも宝塚歌劇団で舞台の仕事をしてきた人なので、仕事のことで余計なことは言わない。距離感が合うんでしょうね。お互いに束縛しない。それが心地良いですね。

春風亭昇太(しゅんぷうてい・しょうた)

 1959年、静岡市(旧静岡県清水市)生まれ。1982年、五代目 春風亭柳昇に入門。2016年から演芸番組「笑点」の司会。落語芸術協会会長。役者でも幅広く活動。5月31日~6月25日、東京・新橋演舞場での熱海五郎一座「幕末ドラゴン~クセ強オンナと時をかけない男たち~」にも出演する。

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