俳優 瀬戸さおりさん 兄の瀬戸康史に「やめなさい」と言われた役者の道 踏み出せた理由は

五十住和樹 (2024年4月14日付 東京新聞朝刊)
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兄との関係を語った俳優の瀬戸さおりさん(五十嵐文人撮影)

家族のこと話そう

「自分で切り開かなきゃ生き残れない」

 1つ上の兄は、俳優の瀬戸康史(こうじ)です。高校を2年でやめて、東京に行って俳優になると聞いて、もうびっくり。衝撃的過ぎて。成人式で兄が帰省した時、しゃべり方も違うし、すごく距離が生まれたんです。小さいころはずっと兄と遊んでいたのに。「お兄ちゃんなんだけど違う」みたいな不思議な感覚になりました。

 でも、兄が出たテレビドラマ「恋空」を見て、初めて役者という仕事を魅力的に感じた。さらに地元・福岡であった兄の舞台「テニスの王子様」を見て衝撃を受けました。お兄ちゃんなんだけど、その役として生きている。どういう感覚でやってるんだろうと、すごく興味を持ちました。

 私は高校を出て美容師をしていたのですが、仕事で使う薬液が体に合わず、この先どうしようと思っていたところで、兄に電話で「役者になりたい」と相談しました。兄は「甘い職業ではない。やめなさい」って。「どうしてもやりたい」と伝えると、最後は背中を押してくれた。「頼ってもいいけど甘えるなよ。自分で切り開かなきゃ生き残れない」と言われました。

 3つ下の妹は「自分がやりたいのならいいと思う」と言ってくれたけど、母は反対。兄の姿を見てひかれている自分がいる。こんな感情を持つのはあまりなかった。お母さんを悲しませるかもしれないけど、やっぱり引けない。そう思いを伝えると、母は「分かった。でも、いつでも帰ってきていいからね」と言ってくれました。帰る場所があるという安心感で、私は一歩踏み出せた。父は「何かやりたいと思ったら、まずやってみな」と言う人。「すごいじゃん」と大喜びでした。

両親は共働き 兄の背中を見て育った

 両親は共働きで、兄妹3人でおばあちゃんちに預けられたこともあって兄が親代わりでした。寂しい思いをさせないように、いろいろ遊んでくれた。私は兄の背中を見て育ちました。兄には「自分が俳優になって家族を支える。お父さん、お母さんを楽にさせる」という思いがすごくあったと思うんです。

 兄は故郷にいる母を心配させまいと、電話やLINEでも必要なことしか言わない。でも、結婚して子どもが生まれたら、写真をめちゃくちゃ多く送ってくる。優しくなったんです。妹にも子どもが2人。兄妹の子どもって何だかいとおしい。妹の妊娠中に一度、おなかを触らせてもらったことがあって。この中に守るべき命がある、奇跡だなあと思った。そんな思いが舞台での役作りに生きてます。

 私と妹は、母の豚汁が大好き。帰省した時は「高いレストランよりお母さんの手料理」って、毎回頼んでます。 

瀬戸さおり(せと・さおり)

 1989年、福岡県生まれ。映画「愛の病」、舞台「きらめく星座」「頭痛肩こり樋口一葉」などに出演。4月29日まで東京・紀伊国屋サザンシアター、5月8日に所沢市民文化センターミューズで上演される舞台「夢の泪(なみだ)」に出演する。読者割引あり。問い合わせはこまつ座=電話03(3862)5941。

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