【里親月間】父が里親になり「里兄」となった塩崎彰久厚労政務官 里子に向き合い、豊かな人間関係が生まれた

インタビューに答える塩崎彰久厚生労働政務官(坂本亜由理撮影)

 里親の家族は里子とどんな関わりを持ち、どんなふうに思っているのでしょうか。衆院議員引退後に「週末里親」を始めた塩崎恭久元厚労相の長男で、2021年10月に衆院愛媛1区から出馬し、初当選。現在は厚生労働政務官を務める塩崎彰久さんに話を聞きました。

◇毎年10月は国が定める「里親月間」です。里親について理解を深めてみませんか。

人生かけた衆院選、でも父は里親研修

―ご両親が里親に挑戦されていることについて、率直なところ、どう思われていますか。

 最初はびっくりしました。僕が人生をかけて衆院選に出馬して、終盤の大事な局面で父に相談しようと思っていたら「今日は里親研修なので」といないのです。父は衆院議員を引退してすぐに次の人生をスタートしていたという感じです。当然、事前の相談はなかったですし、本当に里子さんと実家で会うまでは実感はなかったですね。

 しばらくして小学生の姉妹がうちに来て、一緒に夕食の食卓を囲んで初めて「うちに里子さんが来るんだ」「うちの親が里親になるということは、僕は里兄(さとあに)になるんだ」とリアリティーとして感じました。人ごとでは全くなく、自分も当事者だと気づきましたし、姉妹といろいろな会話をして、やりとりをしたり、感情の行き交いが発生してくる中で、この子たちにとって、自分はどういう存在なんだろう、僕は何ができるんだろうと考えました。

息子たちにはもっと心を開いてくれた

 さらには高校1年生と中学2年生のうちの息子たちが松山に帰ってきて、姉妹と一緒に過ごす機会があると、そこでも新しい人間関係が生まれます。みんな、めちゃくちゃ仲よくなるんですよ。彼女たちも、息子たちには僕より100倍ぐらい心を開いてくれた。息子たちも妹ができたみたいにかわいがって、帰省するときに「今週はいるのかな」とか、聞いてきたりします。

 実際に関わってみて、子ども同士はすぐ打ち解けるんだなと思いました。一つの家庭に入ることによって、単に親との間だけではなくて、いろいろな家族のメンバーと、重層的な人間関係が自然と生まれてくるのだと気付きました。やってみないと分からないことですよね。

居場所が大切 寄り添い方はいろいろ

―受け皿を広げるために「週末里親」みたいな形でも、里親になる人が増えた方がいいと思いますか。

 「里親」という言葉自体がもしかしたらハードルを高くしているのかもしれないと思います。「親」というと全責任を負うというイメージがありますよね。うちの両親をみていても、里親といっても、実態は「里じじ」「里ばば」。それでも月に1回とか、週末にいく居場所があるのとないのとでは、ぜんぜん違うと思います。子どもたちにとって自分だけの場所がある意味はすごく大きいと感じました。

写真 塩崎彰久さん

 彼女たちはこの家に来て、施設のことをいろいろ話したり、自分の悩みを話してくれています。自分の思いを自由に表現できる場所ができたのかな、と気づきました。そんな居場所は大切だと思います。それは決して、親か親じゃないかという単純な話ではなくて、いろんな寄り添い方があっていいんですよということが、もっと広く知られていくといいと思います。今はまだ里兄になりたいです、里じじになりたいです、と手を挙げる制度はありませんが。

里親の悩みや葛藤 共有する場が必要

ー実際にお世話されているのはお母様だと思いますが、どうされていますか。

 母は2人と上手にしっかりと向き合って関わっていると思います。限られた時間、限られた関わりの中で何ができるのか戸惑うこともあると思います。自分の子どもだったら、生まれたときから一緒にいて全責任を負う覚悟でやるわけですが、里子の場合は、時間の一部だけを共有してもらうことになります。人生の途中から関わったり、一定の時期だけ関わったり。里親は、この子たちのために何をしてあげられるんだろうと考えることは、里親になって初めて実感する悩みであり、葛藤であったり、学びであったりするわけです。

 こういうことについて話し合い、共有する場は必要だなと思います。里親同士のネットワークというか、里親の先輩からメンタリング(助言)を受けたり、相談できたりする体制が、まだまだ日本では薄いのではないでしょうか。

写真 塩崎彰久さん

ーご両親は地元愛媛で里親支援のフォスタリング機関「NPO法人子どもリエゾンえひめ」を立ち上げました。

 里親のリクルートだけではなく、里親になってからの様々な悩みを支えるネットワークやノウハウの共有が大切だと思います。里親自身も支援が必要だということが、もっと知られるようになれば。それは官だけができるのではなくて、官と民でしっかりと連携しながらやっていく必要があると思います。

忙しかった父 要所で見てくれていた

―お父様はどんな父親でしたか。

 父は忙しかったですから、あまり家にはいなかったですよね。高校のときに留学にいくかどうか、1回決まりかけたのに、やっぱり嫌だと心変わりしたときがありました。そのときは怒鳴り合いのけんかをして、父に「絶対いけ」と押し切られたことがあります。あの剣幕(けんまく)は、あの1回だけだったと思いますが、振り返ったらあの時点で留学に踏み切ったことは、私の人生を大きく変えたと思います。父は、要所要所で見てくれていた感じでしたね。もちろん政治の世界に入る前、私が小さい頃は、キャッチボールしてくれたり、旅行に連れて行ってくれたりしました。

―共働きで中高校生が2人いるご自身の家庭はどうしていますか。

 コロナ禍が始まる直前に妻が米サンフランシスコに転勤になりました。当時は2人とも小学生で、話し合って、妻が次男を連れて行き、長男は私と一緒に、と3年8カ月の間、別れて暮らしました。私にとっては長男といろんな話をしたり、学校の世話をしたり、家事をやったり、今まで経験したことないような次元で向き合う、非常に貴重な経験になりました。長男と2人で(広島県尾道市と愛媛県今治市を結ぶ)しまなみ海道を自転車で渡ったり、鹿児島県の屋久島に行ったりしました。そういう機会があったのはありがたかった。そのときにお弁当づくりも習得しました。

 今は妻と次男が帰ってきて、4年ぶりの4人暮らし。そういった意味では、久しぶりに新鮮ですよね。私も妻も働いていますので、家事の分担はしています。もちろん妻のほうが多いですけど、自分も週に何日かはお弁当をつくるようにしています。

写真 塩崎彰久さん

子どもと向き合う難しさと意味の重さ

―里兄や子育ての経験を政治家としてどう生かしていきますか?

 子ども一人一人と向き合うことの大切さ、難しさ、その意味の重さについて、以前よりも考えるようになりました。一緒に過ごす時間の長さも大事ですが、短い時間であったとしても、どういう風にみてあげるか。一人の人格として話を聞いてあげられるか。今も完全にできているとはいえませんが、そういった親のケアを十分に得られない環境にいた子どもたちの心がどれだけ乾いているかを目の当たりにすると、話を聞くことの大切さを感じます。

 政策はパワーポイントの上で動いているわけではないので、法律の文章一つ一つを具体的な生活の中に落とし込むときに、政治家が肌感、リアリティーを持っていることは大事だと思います。両親が里親になり、私もその隣で里兄を経験させてもらっているその経験を、しっかり、自分の物事の考え方、価値観の中に取り込んで、政策に反映していきたいと思います。

塩崎彰久(しおざき・あきひさ)

 1976年、松山市出身。東大卒、弁護士。米ペンシルベニア大学ウォートン校でMBA(経営学修士)。官房長官秘書官などを経て、2021年10月の衆院選で、衆院愛媛1区から出馬、当選1回。2023年9月から現職。

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