「分ける」ことが偏見や差別を生む 障害のある国会議員・木村英子さんが考える「インクルーシブ教育」の意義
18年間、健常者の友達は1人もいなかった
―どんな経験が今の考えにつながっているのでしょうか。
生後8カ月のころ、歩行器ごと玄関に落ちて障害を負い、物心がついた時から施設と養護学校(当時)で育ちました。その18年間は、健常者の友達は1人もいませんでした。
とにかく外に出たくて、19歳でアパートを借りましたが、本当に大変でした。社会的障壁にぶつかったり差別をされたり。電車に乗るとか1人で買い物をするとか、そういう経験もしたことがなかったんです。
―共に学ぶことの必要性に気付いたきっかけは。
私は24時間介護が必要です。自立生活を始めた初日から自分で介護者を探し、ヘルパーさんが来る時間以外は、主に学生ボランティアが支えてくれました。その時、ある学生が私に言ったんです。「なぜ私たちは出会うことができなかったんだろう」と。「同じ日本に生まれて、同い年で、こうして一緒に生活ができるのに、なぜ私たちは分けられてきたんだろう」と。互いを知らないことが弊害なんだと気付かされました。「分ける」ことが、偏見や差別意識を作ることにつながるのだと。
障害のある子が、普通学校に行ける制度を
―現状をどう見ていますか。
日本では昔から、家の中に障害者を隠した歴史があり、就学免除だった時代を経て、養護学校が1979年にできたわけですが、一貫して障害児と健常児を分けてきました。その根底には、差別的な考え方が根強くあると感じています。
国際的に見れば、国連の障害者権利条約で障害者の権利がうたわれ、本人が望む学校に通うことが当たり前のことだと認識されています。
一方で、日本の教育は、家の中に障害者を隠していた時代から始まり、就学免除だった時代を経て、1979年に養護学校ができたわけですが、一貫して障害児と健常児を分けることを進めてきました。その根底にはやはり障害のある子は「不良な子孫」という差別的な考え方が根強くあると感じています。
それは心で感じるだけでなく、例えば数メートルしか離れていない場所にいるのに、障害者を見ないようにするような周りの視線や対応からも感じられ、私自身もそのような状況の中で育ってきました。そして親もまた、障害児の私がいることでずっと困難を強いられてきたのです。
3月の障害児を巡る川崎就学裁判についても、分けられた環境で育った裁判官や周囲の大人たちが、障害者のことを十分に理解しないなかで、果たしてその権利を公平に判断できたのか、疑問に感じています。分けられてきた健常者の人が判断すれば偏ってしまうでしょうし、大多数の考え方が優先されてしまうのです。
川崎就学裁判
今年3月、重度障害を理由に就学先を神奈川県の特別支援学校に指定されたのは違法だとして、川崎市の8歳の男の子と両親が地元小学校への通学を求めた訴訟。横浜地裁は、県と市の教育委員会の判断が妥当性を欠くとは言えないなどとして請求を棄却した。
幼い時から一緒に育ち、お互いを思い合う関係に
―どう変えるべきでしょうか。
今のままの教育では、障害者一人一人の能力や存在意義が、手厚い教育や保護という名のもとに、奪われていくでしょう。障害があると、人に支えてもらう必要があり、互いの存在意義を分かち合わないと生きていけません。だからこそ幼い時から分けるのではなく、共に学び、支え合う気持ちをつくることが大切だと思います。
障害児に合った教育の内容も、当事者から提案されたものではなくて、医学的・教育的な分野などの専門家が作ってきたものです。障害児の親は、自分の子どもがいじめられず、障害に手厚く配慮してくれる学校を望み、特別支援学校に入れている人が多いのかもしれません。でも、普通学校と特別支援学校で分けられてきた教育によって、学校教育を終えた先の社会への出口も分けられてしまい、社会の中には重度の障害者が生活できる環境は整っていません。自分が亡き後、わが子が安心して生きていけるところが社会の中にはないので、私の親もそうだったように、施設に入れたいと思う親は当然多くなるのだと思います。
私は、施設に閉じ込められ、このままコンクリートの壁の中で、一生外の人にも知られず命を終えるのかと思ったら、絶望を抱き心が壊れそうで耐えられませんでした。一番怖かったのは、同じ社会に生まれてきたのに、社会の中で私の存在がなかったものにされているという事実でした。誰からも認められない存在になっている事実がすごく怖かったのです。
障害者の存在をなくされてしまうことは、とても悲しく残酷なことだと感じます。それがまかり通ってしまっている現在の日本は、結果として障害者から社会を奪い、人権を奪うことになっているのです。
今のままの教育が変わらなければ、障害者一人一人の可能性や能力や存在意義というものが、手厚い教育や手厚い保護という名のもとに、奪われていくでしょう。障害があると、人に支えてもらう必要がたくさんあり、自分と相手の存在意義を分かち合わないと生きていけないところがあります。だからこそ幼い時から一緒に育ち、お互いを思い合うことが大切だと思います。生きるということは、自分で何でもできることではなく、お互いにできないところを支え合うことではないでしょうか。
障害児を取り巻く人たちが、当事者の「普通学校に行きたい」という気持ちを支え、差別をなくす活動をしていかなくては普通学校に行けないという状況であってはなりません。むしろ国が率先して、障害児が普通学校に行ける制度、環境を整えていく必要があると思います。
こどもの日特集「多様な学び」を考える
今日は「こどもの日」。新型コロナウイルスの感染拡大で、休校が続く中、子どもの学びについての議論も活発になっています。子どもたちが自らやりたいと思う気持ちを尊重し、探求できる学びの場を記者が訪ね、「学校での一斉授業」だけではない「多様な学び」について考えます。
〈多様な学びの現場から〉
1・学校とは違う学び 子どもの「どうして?」の力を信じる、松戸の探求型スクール
2・宿題も定期テストも廃止 公立校の”当たり前”の改革者・工藤勇一校長の挑戦
3・外国籍の子どもが多い横浜市南区 休校で孤立しないよう、学習支援を続ける信愛塾
4・障害があっても、創作意欲は育つ 自分を丸ごと肯定される練馬のアトリエ
〈多様な学びを広げるために〉
なるほど!
グッときた
もやもや...
もっと
知りたい
インクルーシブ教育を語る前に、学校現場を実際に見てほしい。
小学校の通常学級だと、多ければ35人の子ども達を1人の担任が指導している。診断のつかない発達がグレーな子も数名いる。教師だってスーパーマンじゃないんだから、支援しきれない。支援学級なら10人ぐらいの子ども達を2人の教師が支援している。
インクルーシブ教育を推進したいなら、教育に金をかけて教師を増やしてほしい。保護者ももちろん協力してほしい。
同じクラスに障害児がいたけれど、私を含めた他の子の物を壊したり、授業を妨害したり、他害行動をしたりとやりたい放題。
障害児の親は弁償どころか謝罪すらしないし、教師も障害児を庇ってばかり。
健常者に我慢をさせるのは「犠牲」であり「一緒、共に生きる」ではない。
「○○君は障害があって、わざとしたんじゃないから許してあげようね。許さないなんて意地悪だよ」と健常者を「差別」しないという決まりを作らない限り、私は反対です。
今までは効率を考えて、障害者と健常者の教育を分けてきたと思います。でもコロナ以後教育は「効率から多様」へと変わらなければならないと思っています。
今は時代の変わり目、学校が長期休校の今、学校教育全体を考えましょう。
画一的な教育から、多様性のある教育へ。コロナウイルスは、そのことを告げに来たように思います。
木村英子さんのお気持ち、推測するだけですが、理解できますし、ご意見、100%、賛成です。「障害児を普通学校へ」という運動も長く応援して来ました。障害や文化など、多様な人との触れ合いの中で育つことで差別をなくして行くべき。想像力、共感、共生。