「3+1=5」にマルをつけた数学者が語る、子どもの算数の見守り方 間違いを否定せず、考えた道筋を共有しよう

(2021年6月18日付 東京新聞朝刊に一部加筆)
子育て世代がつながる
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神戸大大学院理学研究科教授の谷口隆さん

 数字に興味を持ち始める3歳ごろから、子どもたちは時につまずきながらも、だんだんと数の世界に親しんでいく。算数は正解・不正解が分かりやすいだけに、子どもの間違いや、得意・不得意を気にする保護者も多い。算数の基礎を学ぶ小学校低学年くらいまでの段階で子どもが苦手意識を持たないよう、周りの大人はどうサポートすればいいか。数学の専門家に聞いた。

「5だね」…新たな一歩を大切にしたくて

 「3+1=5」。子どもが足し算の問題にこう答えたら、学校の先生も保護者も、普通は「×」を付けるだろう。

 ところが、「○」にした数学者がいる。神戸大大学院理学研究科教授の谷口隆(たかし)さん(44)=代数学=だ。当時3~4歳で、足し算を覚えて間もなかった娘に口頭で尋ね、「5」という答えを「そうだね、5だね」と○にした。正解の「4」も教えなかった。

 谷口さんは「答えは一応3より大きいし、また7や8のような見当外れの数でもない。何より、それまで指を使って足し算をしていた娘が、初めて指を使わずに導いた答えだった」と振り返る。「いずれ足し算はできるようになる。指を使わずに足すという新たな一歩を大切にしたかった」

誤答にも、部分的には正しい推論があった

 現在は小学生の長女、幼稚園児の長男の2児の親でもある谷口さん。算数に取り組む2人の様子を観察し、誤答にも常に理由があり、部分的には正しい推論をしていることに驚いた。こうした発見を、近著「子どもの算数、なんでそうなる?」(岩波書店)でも紹介している。

図解 子どもの誤答、どう考えたの? 谷口隆さんの娘が小学2年生の頃の実例から 「250mm=70cm」と答えた娘に 「どうやって考えたの?」 「250を200と50に分けたの」 「それで?」 「200mmは20cmでしょ?」 「うん」 「だから、20+50で70cm!」 なるほど、50mmの方は5cmに直さずに足してしまったのか ↓ 考え方の道筋は正しかったこと、どの部分で間違えたかが分かる ↓ 適切なヒントを出せる

 子どもは考えた答えを誤りだと否定され、正解だけを押しつけられるうち、自分で考える意欲を失っていくという。谷口さんは「ある時点で誤った認識をしていても、月日がたち、学びが深まるにつれて、自ら誤りに気付いて修正する力が子どもにはある」と話す。

無理に正解に導かず、どう考えたかを聞く

 とはいえ、誤答は気になるし、テストで×が付いていたら解き直させたくなるのが親心。どのように声を掛けたらいいのか。谷口さんは「どう考えてその答えを出したのか、正解にたどり着けずに困っているかどうか、の2点に注目して」と助言する。

 無理に正解に導こうとせず、まずは子どもの話をよく聞く。子どもの考えを想像で決めつけず、なぜそう考えたか教えてもらい、納得できる部分は共感して、感心したり面白いと思ったりしたら、子どもにそう伝える。「誤答でもよく聞くと『へ~、そんなことを考えていたのか』と思わされることは結構多いですよ」と言う。

 「行き詰まって困っているようなら、ヒントを教えて困難を取り除いてあげればいい。話を聞いてほしそうだったら聞き役になる」。子どもが必要とするサポートは個々のケースで異なる。どのタイミングで、どう働き掛けるのが一番効果的かを考えながら、子どもの様子を見守り、助け舟を出そう。

今だけを見て「苦手」と決めつけないで

 長い目で見て算数の力をつける上で大事なのは、自分の頭で考える姿勢だという。谷口さんは「自分で考えてたどり着いた答えは、正誤にかかわらずすてきなもの。正解を教えたり、誤りを訂正したりするのに躍起になるのではなく、子どもが考えた道筋を一緒に楽しんで」と訴える。

 「現時点だけを見て『この子は算数が苦手』と決めつけたり、口にしたりするのは避けてほしい」とも。心身の発達と同じように、算数の学び方や進度には個人差がある。「その子が自分なりのペースと関心の持ち方で学んでいるのであれば、焦らなくて大丈夫。大事なのは、一人一人が自分に合った形で算数を学んでいくこと。それこそが本人にとって糧となる」と話す。

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谷口隆さん著「子どもの算数、なんでそうなる?」(岩波書店)

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コメント

  • 匿名 より:

    感動します

  • 匿名 より:

    コメントが興味深い。この記事に反発する人というのは社会秩序や「正しさ」からはみ出すことに恐怖を感じる人たちなのでしょう。
    そういう人たちに聞いてみたい。
    3+1=5
    がなぜ間違いなのか
    3+1=4
    がなぜ正しいのか
    ほとんどの人は説明できず、ただそう決まっているからとだけ答えるのではないかと思います。

  • 匿名 より:

    ちゃんと教えましょうよという方は、3〜4歳児という前提でそう言っているのでしょうか。大学入試でも数学の専門家から見たら稚拙な間違いがあったとしても部分点があったりするのでは。ウチの子が言葉を覚え始めた時、ヘリコプタをヘビクロレターと言っていましたがちゃんと教えないと大人になってもヘビクロレターと言い続けることはないとそのままにしましたが間違いでしょーもないことでしたかね。何もないところから数という抽象的な概念を習得する様を見るのは感動しますよ。

  • 匿名 より:

    心底感心しました。数学者って堅いイメージでしたが、こんなに温かくやわらかく子どもを見守れる人って、保育者や低学年担任教師だって滅多にお目にかかれない…と言うより、カリキュラムや雑用が多くなっているという昨今の学校では到底無理で、皆無かもしれませんね。せめて家庭ではこんな風に余裕をもった指導を参考にして欲しいと思いました。もしかしてひ孫がいてもおかしくない歳の高齢者ですが、こういう余裕はなかったな…と振り返りながら、子育てをもっと楽しめば良かったと感じています。今の世はコロナや経済問題他が一度に押し寄せて、心がヒリヒリしていますが、ひととき慈雨を浴びたような心地になりました。

  • 匿名 より:

    文章と違い読み解く問題では無いので計算は正しく理解できるように教えましょうよ。極論で言ったら1万+3万=5万っていうのもこの親は正解と教えるのか?良くない教育だよ。

  • 匿名 より:

    間違ったことを頭ごなしに否定しないというのが大事なことですね。
    間違ったことを「教えてやる」「矯正してやる」と強くやってしまうと、自分がなぜその答えにたどり着いたのかを正直に話してくれなくなってしまうように思います。
    そうすると長い目で見たときに正しい導きができなくなり、子供にとって不幸なことが起きてしまいますね。ただ、そのためには教える側に余裕が必要だと思います。

  • 匿名 より:

    私が、父親だったら、250を200と50に分けた発想と、単位をmmからcmにした発想を褒める。70cmと言う答えに対しては、途中迄あっていて、考え方は、素晴らしいので、惜しいと言って上げる。そして、50mmに関してはどうなのかとヒントを出して、後は本人に考えさせる。

  • 匿名 より:

    ここからここまでなら正解とする、という新しい発想を見た気がします。
    正解の幅を広く取る。世の中、正解・不正解の二択とは限らないこともありますね。
    子供の可能性を伸ばす、素晴らしい教育方法だと思いました。

  • 匿名 より:

    いやキチンと教えましょうよ!

  • 匿名 より:

    自分は算数が小学生の時から大の苦手でした。こうして教えてもらったりしたらキライにならなかったかも(>_<)!
    学校現場で取り入れてほしい。大人数だと無理なのかなぁ。答えの正解不正解だけじゃなくて、子供自身が気づいて自ら好奇心持って取り組んでいける形になったら一番だと思う。

  • 匿名 より:

    温かみを感じる記事です。
    4歳の子の成長に合わせて応えるところに感動しました!

  • 匿名 より:

    私も高校1年生の時に、初めての物理の試験で(年配の先生だった)、答えがわからなかった問題に対していろいろ推論して答案を書いたところ、すべてマルにしてくださって驚いたことがありました。それから物理が大好きになり、2年生の時は気が付いたら成績が一番になっていました。いまでもあの時のことは深く記憶に残っています。

  • 匿名 より:

    これは誇大表示の記事。算数が苦手な子に辛抱強くどう教えるか?には役立つだろうが、数学教育全般に当てはまるとは思えない。これでは3+1=4と即座に答えた子は「思考力がない」ことになってしまう。教員がこんな形で5や6と答えた子まで〇を付けていては大混乱になる。

  • 匿名 より:

    数学に限らず理系分野は「現在ではA→Bである」と前提を踏まえてから次に進めていると思う。そうせずに「A=Bかな、A→Cかな?」で止まってしまう。
    ヘタすると、”1,2,の次は何故3なのか?”で止まってしまわないか?
    また、”子供が何故この解を導き出したか?”の答えが”なんとなく”だったらどうする?

    しかし、子供一人ひとりに考え方・捉え方・感じ方があるので、そこを意識して教え進めていくのはいいかも、と感じた。大人の捉え方としてはアリだと思う。まして、出来ないからってアタマ叩いたりこづいたりするのは最低(昔そうゆう目に遭った)。

    理系に限らず「何故その解にたどり着いたか」「そのプロセスを口に出して説明する」のは、とても大切なことだ。以前に流行った”ロジカルシンキング”へとつながる。
    そして理知で問題を解決し、将来に繋げられるのはホモサピエンスだけなのだから。

  • 匿名 より:

    今、5歳の軽度知的障害の1人息子がいます。息子になんで?とつい聞いてしまっていた自分が恥ずかしくなりました。

  • 匿名 より:

    ああ、30年早くこの記事を読めていれば…
    息子は算数嫌いにはならなかっただろう。悔やまれる。
    せめて孫が生まれたら、こんな対応できるように勉強しておこう❗

  • 匿名 より:

    希に子供は天才的な柔軟制のある発想力を産み出して答えを導き出している事があります。ほんの少し間違ってるだけで否定すると子供はその考え方すら萎縮してしまい新しい発想をする事を止めてしまう危険性も少なからず含んでると改めて思いました。

  • 匿名 より:

    面白い。柔らかいあたま。考え方が無限

  • 匿名 より:

    「考える力」も評価しよう、という採点。いい話だ。この視点が欠落している日本人がどれだけ自分たちの問題を解決できていないか目に見えているだろう。こうした好例が増えて、大人たちが学べなかった思考力の教育を子供にしていってもらいたいと思う。学校常識で凝り固まった大人たちをどうにかかいくぐって、学者主導で進めてほしいな。

  • 匿名 より:

    研究の世界では通用する話だが、現実の世界で生きていくには不十分。この程度の数字なら子供の生活場面にたくさん出てくるので、思考を尊重しつつも正解はすぐその時に理解させる必要がある。3+1=5後から修正するの大変よ。いずれはちゃんと覚えるとは言っても最初のきっかけで次々勘違いの積み重ねになる。

  • 匿名 より:

    お話の内容は素晴らしいものです。私は小学校高学年で子供時代のエジソンだったか3+1=1、全ての計算は1だと主張した話を聞かせてもらった記憶があります。話の中の先生が理由を聞いたところ[粘土のようなイメージでみんな足してしまえば大きな固まりの1となってしまう]と答えたという話でした。子供は成長するものです。少しずつ問題の仕組みを知っていけば良いのかもしれません。

  • 匿名 より:

    素晴らしいです!
    私も子供の宿題を一緒にしますが、間違えても、どして?こーなった?て言う方なんですが、やはり間違えた事をやり直しさせてしまいます。
    誤答とは?て考えさせられました。

  • 匿名 より:

    答の正誤より、それを導き出した考え方を聞くことは、順序としても必要なことだと思います。
    考えることの大切さ、楽しさを身に付けることで、勉強は勿論のこと生きていくための力になると考えます。

  • 匿名 より:

    そばに居る大人の心と時間の余裕が大切なのでしょうね。算数だけに当てはまる事例
    でもないですね。
    社会全体が相手に対してこんな余裕でむきあえたら、すてきですね。

  • 匿名 より:

    賛否両論あるやつだ。自分ははあ?としか思わなかった。そんなんなら学ぶ必要ない。一生懸命考えたから、考え方はあってたから……それで丸ならみんな丸。しょーもない

  • 匿名 より:

    正解はすべて満点、ミスしたら問答無用で0点というのは、教育的見地というよりも採点側の省力化のためでしかない。ミスにもそのミスの度合いに応じた配点があれば、生徒は標高ゼロからでなく山腹から頂上まで登ることができて、生徒の省力化になるだろう、といったところか。何度も標高ゼロに叩き落されてもめげずに登頂を目指せるマゾヒスティックな生徒だけが数学好きになるという教え方は、本来の数学の魅力とは関係がない無駄な嫌がらせだとは思う。

  • 匿名 より:

    どこを間違って正解にたどりつかなかったかをヒントを与えて本人が「あっ そうか」と気がついてくれればよい。ほかの類似問題でも気をつけていくことが身につけばよいと思います。
    「正解」にたどりつく方法は算数では複数ありそうで面白いと思います。

  • 匿名 より:

    このタイトルは紛らわしい。「1+3=約5」を正解にしたということでしょ?
    あえて人を驚かすようなタイトルをつけて、注目を集めようとする姿勢には教育以外の目的を感じます。

  • 匿名 より:

    何十人もいる学校のクラスで一人一人教えるのは現実的にキャパオーバーだから、まずこれは子を持つ親世代に読んでほしい。知ってほしい。家での復習時に親子で見直してフィードバックする時間が大切だと感じた。

  • 匿名 より:

    当時3〜4歳の子供 ということで、こういう教え方も面白いですね。
    「3+1=5」と、文章で記憶するわけではないと思うので。

  • 匿名 より:

    それじゃあ、全部が正解になっちゃうじゃん。そしたら、何のためにこの問題を出したのか?
    考える過程を大事にすることに異論は無いが、間違いを「間違い」と教えるのも大切なことだ。

  • 匿名 より:

    物事には、必ずどうしてそのようになるのかという結果が付いてくる。いわゆる正しく認識して正しく評価することが物事を考えていくのが、正しいやり方でしょう。いきなり認識もせずに評価する事の何と多いことか?

  • 匿名 より:

    私は小学校1年の時に、算数のテストで0点をとったことがあります。
    計算問題が10問。つぎのこたえをかきなさい。というようなことが書いてあったと思います。
    1+1=3(2のつぎだから)
    3+2=6(5のつぎだから)
    ・・・というわけで、0点でした。
    自分ではどこが間違ってるの?って思いましたが、先生に聞く勇気はなかったです。

  • 匿名 より:

    凄く為になりました。私は昔算数が不得意だと思っていたからです。親からも先生からも耳にする言葉は何でそうなるんだ。と間違えた答えに苛立たれました。が、大人になり仕事をする上で自分はどう考えても文系ではなく理数系なんです、あんなに算数が出来なかったのに、なんで?と思っていました。そのうちにテストの点数は取れなかったけど答えを導くのによく考えていた事を思い出し、勝手に不得意だと思い込んでいたのではと。谷口さんの本是非読んで、子ども達の自己肯定感と共に考える力を伸ばしていきたいと思います。特に子どもに携わる先生といわれる方々には読んで欲しいですね。

  • 匿名 より:

    これは読みたい。誤りの方が多彩だからなぁ。

  • 匿名 より:

    数ヶ月前中学受験を終えた息子がいます。受験自体はもともと行きたいと言っていた中学校には合格がもらえず、本人もがっかりしていましたが合格をもらえた中学校で中学生生活を満喫中です。小学生時代は算数の成績はいたって普通、受験をするには少し厳しいというレベルでした。模試でもなかなかふるわず、最後の半年は受験でよく出される問題集を親子で取り組みました。

    記事にあるように、数字を分解する、数字の性格を考えてみる、規則性を見つけてみるなど、公式を使わなくても創意工夫で何とかなる問題が多いことを知りました。親子で、こういうのアリじゃない?と会話しながら、数字を考えること数ヶ月。親は仕事が終わってからなのでヘトヘトで大変ですが、意外と子どもはそういう時間を楽しんでいたようです。受験が終わってからの方が、算数・数学が面白くなってきたそうです。受験前の時の算数の勉強楽しかった、と本人も話しています。

  • 匿名 より:

    全くです。でも実践はなかなか難しいです。意識的に訓練して、我が身を変えることが先のことで重要のようです。

  • 匿名 より:

    大人でも間違えたことを後になって解った経験を多く持つことが進歩、

  • 匿名 より:

    細かいことで子供が算数が嫌いにならないことを!算数は面白いことがいっぱいあると思うから、

  • 匿名 より:

    小学校の1年2年はそれで良いと思う。

  • 匿名 より:

    実は3+1は四捨五入されていて表示は整数でされていたとする。
     → 3.3 + 1.3 = 4.6 これを四捨五入すると 5 になる、
    という可能性も考えて子供が回答していたら、将来が楽しみ!

  • 匿名 より:

    面白い

  • 匿名 より:

    素晴らしい!ここまで丁寧に向き合える様になれるといいな。

  • 匿名 より:

    こんなふうに算数を教えられたら生涯苦手意識を持たなかった…かもしれないな。
    普通は間違えたら怒られる、バカにされる、果ては呆れられて放置とかだしな。

  • 匿名 より:

    子供の考えをちゃんと聞いてあげることは、大事なこと。でも、なんでもかんでも間違っていることを○にするのは・・・どうだろう?

  • 匿名 より:

    うちの子が5才の時1+1=3といったのでおかしいと思って聞いたら小さい林檎と大きい林檎を足したので3になったと言った。きっと天才になると確信していたら、小学校に上がったら1+1=2と普通の子になって仕舞った。谷口先生の話を聞いて安心しました。

  • 匿名 より:

    凄く良いと思います。今は1、2年生は点数化されません。でも成績表では良いか悪いかが分かりますね。それで悪いとショックを受けます。点数化しない意味が無いですね。
    成績表での良い悪いは全部先生個人の評価だから、多少なりとも偏見が入っています。
    いっそのこと成績表もなくして、大学は将来自分がなりたい学科を選択して希望して入れるようにすれば良いのにと思います。
    そうすれば、医師不足も解消出来ますし、医師が凄い人、偉い人という思考もなくなると思います。

  • 匿名 より:

    親の私が小学校の低学年の頃、授業に九九が現れてから数字と言うもの全てが大嫌いになりました。今もそうです。当時の低学年の頃の担任が数字にとても厳しかった記憶があり、九九が出来ないと下校させられなかった。嫌だったのは、下校後、担任は、職員室へ行ってる間も、私1人、電気を消された暗い教室へ居残りされて、九九が出来るまで帰してもらえなかった。数字を見たり聞いたりすると、脳がすぐに拒否反応を起こし、強い睡魔が襲う。これを自分の子供に体験して欲しくなくて、間違えたら違う事を私は教えてた…。もちろん、数字を楽しみながら接してました。しかし、考えてみたら、子供なりに考えて答えを出した結果ですもんね、丸がいいに決まってる!せっかくの答えを否定して、数字が苦手になるのも悲しいし、丸付けで親にバッテンされた事を考えると、子供にしては、『答えを書いたらまた、親にバッテン付けられるから、もう計算したくない…やり直し嫌だ…』などと、モチベーションが下がって、数字嫌いになるのでは…。だったら、間違いでも、丸付けする時、丸を付けようと決めた!そうすると、担任からバッテンを頂いてました(笑)
    ありがとうございます!

  • 匿名 より:

    目から鱗です。自分で考えることの大切さを教えてくれる。
    ただ現場の先生方はどうなんだろう。
    30人もいる子供に対応できるのかな。

  • 匿名 より:

    民間で統計を生業としているものです。私も○とする考え方に賛同です。世の中のあらゆる事象は確率的で、仮に1と3を平均とする分布同士を足した分布から5に近い値が得られることが実際にあります。自分も小学生の子がいてどうしたら好奇心を引き出せるか試行錯誤しているので深く考えさせられました。新しい視点をありがとうございます。

  • 匿名 より:

    正解ではないので×でいい。逆に○やら△にしちゃダメ。子どもでも3-4歳の年頃の子に正解を求めなくてもいいし、大いにペケでいいし、ペケだからダメって事でもないし、間違ったから怒るような話でもない。逆に、一杯間違って間違って、そのたびにああ間違ったね、何処間違ったんだろ?って問いかけて、また学んでいけばいいだけだと思う。

  • 匿名 より:

    昔から△って文化が有るのにあえて○にする
    数学者的に駄目だと思う。

  • 匿名 より:

    素晴らしい考え方です。
    受験がなければ。
    受験という制限時間が決められた中で子供の評価を決める現在の日本でこのような教え方をしても「成績」というもので結局否定されることになり将来的な学習意欲の向上は望めません。
    まるで現在の教え方が間違っているかのような記事でしたが、間違っているのは教え方ではなく受験という社会のシステムの方なのではないでしょうか。
    先生方や教育に携わる方々はそのシステムに合わせて教えなくてはならないから間違った答えをバツとするのです。
    もし受験に制限時間がなく、何歳でも自分の納得がいく学習レベルになったときに受けることができるシステムだったり、成績を他人と比べず過去の本人と比べる成長記録のようなものに変わることがあれば自ずとこういった教え方が広まっていくことでしょう。

    子供の可能性を伸ばすといえば聞こえはいいですがこのような教え方をされた子供は成績で評価されず、受験に間に合わず、社会からはじかれてしまいます。
    そのとき一番被害を被るのは子供です。
    大人の自己満足に突き合わせて子供の未来を潰してしまっては本末転倒です。

    まずは日本の受験というシステムが変わってからこのような教え方が広まっていくべきです。

  • 匿名 より:

    この記事の感想として「誤答を正答にするのはやりすぎだ!」と思う方の気持ちもわかるけど、それは継続して子供を教える覚悟があるかどうかで分かれるのかな、と思います。たとえば一回だけしか教えないならそこで誤答を教えるのは確かにまずいだろうし、継続して教えたり接し続けるなら、「うん!だいぶ良くなってきた!」という教え方はとても大切だな、と。とすると、やっぱり子供と接する機会を増やしながらも正解をだしてもらうことを急がないということが大切なのだな、と改めて思いました。

  • 匿名 より:

    3+1=5とした子供の考え方が記載されていないから、はたしてそれで正答として良いのかどうか読者は判断のしようがない。
    読者に判断させず、数学者のオレが正しいと判断したんだから正しいのだという傲慢さと権威主義が伺える。
    今回は指を使わず計算したからというのが評価できる点らしいのだが、暗算であれ筆算であれ指算であれ、正しく答えが出ればこれらの計算に身分の上下のようなものはないはずなのだが、子供にもできる指を使った計算を卑しい身分と見做す権威主義のようなものを感じる。
    別に権威主義者で悪いと言っているわけではない。ただ権威主義者なら権威主義者らしく物分かりの良い振り・リベラル仕草などせずに3+1=5は間違いと率直に言ってあげた方が子供の混乱しないだろうに。

  • 匿名 より:

    200と50に分けるその数学的?なセンスの良さを大事にして欲しいですね!全ての失敗は成功の素!失敗から学ぶことが大事

  • 匿名 より:

    とてもいい話だけど、俺なら〇じゃなくて△だな
    △にすれば、子供はなんで△なんだろうって考えるからね

    俺いいこと言っただろ?

  • 匿名 より:

    考え方を褒める事と、誤答を正答とするのは論点が違うと思うな

  • 匿名 より:

    考えている工程や努力を評価したもの。検算させることで子供が自分で気付く仕組みづくりが大切。ざっくり計算する能力は大人になると大切。立方体の体積は立方体に内接する球の体積の、ざっくり2倍とか。

  • 匿名 より:

    確かに3~4歳くらいだったら「誤答を正解にされたこと」なんて憶えてないもんな

  • 匿名 より:

    算数だけの話・問題だけではない!と思いました。
    子どもの考えを最後まで聴くこと。そこに、ジャッジではなく、「こういうことかな?」と、子ども自身が発している言葉から子どもの思考や想いをわかろうとしているスタンスが、自分の考えを持ち、様々な感情を親だったり周りの人に伝えることができる子育てに繋がるなあ、と思いました。

  • 匿名 より:

    なるほどね。こういう話を知っていると,自分の子どもに対するときの余裕になるように思います。
    他の話を知りたいから本屋で眺めて,もっとなるほど印がつけられそうなら買おうかな。

    3+1=5を○にすることの是非は,そこだけを切り取ってもしょうがないんじゃないかな。最初の一歩を評価し,次も子どもを見ていくぞという話の中で,是だと思います。その意味で,3+1=5を○にすることは,すごく覚悟のいることでもありますね。

  • 匿名 より:

    ヒントになる

  • 匿名 より:

    数学的感覚って話ならだいたいの当たりをつける勘を養うのが最終目標だけど、だからといって正解だと言ってはいけないでしょう。7や8が見当違いなら6はどうなんだってややこしい話になるし間違いだと言いたくないなら「そうだね。3より少し大きいよね。」ぐらいでとどめておこうや。

  • 匿名 より:

    とても大切なことを知った気がします。

    私には3人の子どもがおり、長男はすでに中2ですが、子どもの気持ちに寄り添うことや根気よく聴く大人の姿勢も大事ですね。
    本屋さんへ探しにいきます。

  • 匿名 より:

    褒めて伸ばすってやつか〜

  • 匿名 より:

    数学は解き方が重要な教科だと考えています。最終的な解に対してどのような道筋で解いたかを説明できればどこで間違えたのかを確認できるし、次は気を付けられる。一緒くたに☓は教える人にとって一番ダメ。

  • 匿名 より:

    考え方を共有したり、出来たところまでを褒めることはとても大切。
    でも3+1=5という明らかな間違いを〇とするのはちょっと違う気がします。250mm=70cmの間違いの例のように、思考過程を聞いて、できたところまでを褒め、間違いに気づくようなヒントをあげるのが良いと思います。

  • 匿名 より:

    200と50に分けるって、センスがあると思います。

  • 匿名 より:

    子ども、ひとと向き合う時に大切な姿勢がそのまま教え方にも表れている。相手の話をよく聞く。それから始まるんだなと。

  • 匿名 より:

    こういう指導、教育を受けたのは、国語と理科くらいでした。国語は○をくれましたが、理科は✕でしたが。

  • 匿名 より:

    小学生の子どもがいます。「いずれ足し算はできるようになる。」親は分かっているはずなのに、学校の勉強に遅れないようにと焦ってしまいます。「指を使わずに足すという新たな一歩を大切にしたかった」というエピソードを読み、我が家も答えを急がずちょっと立ち止まって子どもに向き合いたいと思いました。ありがとうございます。

  • 匿名 より:

    親も子も忙しくて、早く早くと焦るように勉強してしまいがちな今、大事な視点だと思いました。どんなふうに考えたの?と聞くと、こどもは一生懸命こうなって、こうなって、こうなんだよ!と得意げに説明してくれます。大人がコレが正解だと言ってしまうと、こどもは考えずに正解を教えてもらえるのを待ってしまう。一緒に考えたり、こどもが自分の考えを言語化する手助けができたらなと思います。

  • 匿名 より:

    今、孫の算数の間違いの指摘しないで、どうしたらその答えになるの?と質問していることでよかったのですね。ホッとしました。

  • 匿名 より:

    とても感動しました!!!
    目の前のことを0か1か(正解か不正解か)で判断せず、長い目で見て子どもの成長を信じている姿勢がとても素敵だなと感じられました。
    この記事を読んで、正解を教えること=正解 という思い込みが自分の中にもあったのかもしれないと考えさせられました。
    何が子どもにとって良いのか、このような思慮深い教育はAIには難しいのではと感じました。
    ありがとうございました。
    (22歳)

  • 匿名 より:

    よく理解できる。
    学生の頃、周囲が「いいから答え覚えようぜ」という風潮で、解き方や公式の導出に変に拘っていた自分は浮いていた。
    間違いを正し、正解を押し付け続けていると、「正されるのだから正しさを知っていれば良い」とショートカットを探すのは自然な流れ。
    ここでは幼い子に教えることを話題としていますが、育っても同じ。これが正しいと教えることは有意義だが、なぜ正しいかをくどくど説明する人は少ない

  • 匿名 より:

    とてもほっこりするやり取りですね(*^_^*)
    つい昨夜、寝る前に我が家の息子が「7+3=9」と書いていたのでどうやったのか確認した時のことを思いました。
    息子は指を7と3にして数え出し、7の指を「1、2、…7」と数え終えた後に「7、8、9」と数えていたんです。
    何度確認させても同じだったのですが、最後は「9だよ」と泣き出してしまいました。
    寝て起きて翌朝もう一度確認したら「10だね」とあっさり答えていましたが。
    もっと長い目で見てやればよかったなぁと反省でした。そして睡眠は大事ですね。

  • 匿名 より:

    まだ2さいの息子の母です。先の話ですが参考にします。私ならすぐに違うねと言っちゃいそう。どうやってその答えになったか聞いてみるようにします。

  • 匿名 より:

    とても素敵な考え方ですね。私自身算数で躓きそのまま克服せず得意な文系で学生生活終えた身です。中間点等くれる教師も居ましたが導き方の訂正までは中々気付いてもらえず、自分でも「途中までは出来ている」より「答えにたどり着けないから苦手で無理」と決めてしまっていたのだなと思い至ります。
    試行錯誤で正解に至った時もあくまでその時の試行錯誤の結果だから、同じ様な計算式の問題は解けなくて「こっちは解けるのにどうしてこっちは解けないの?」は子供心に「まぐれだし」の本心飲み込み、どう説明して良いかわからなくて曖昧にしてたな等思い返しました。
    ここまでは解ってるの助言と自分で理解する力有ればもう少しヤル氣出せたかなと。
    大人になって勉強した時に自分が理解してない部分を理解してるから解決して楽しく学べる事に氣付きましたが、子供時代にそのサポートがあれば違ったのかもとこちらの記事で思い至りました。

  • 匿名 より:

    とても、勉強になりました‼️それぞれの、考え方があるものですね、大人も、広い心で、見守りたいものです。🥰

  • 匿名 より:

    日本の学校教育最大の欠陥は、思考力を疎かにしている事です。
    これは算数の例ですが、すべての科目に思考を重視する視点が必要で、理科における自然科学の授業しかり、歴史教育にも思考力の併用が不可欠です。
    学校現場において、答えの出ない問題を討論させるのも重要かと考えます。

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