子どもを守る88歳の交通指導員 健脚の理由は元競輪選手 感謝の冊子を励みに立ち続ける

小松田健一 (2022年10月19日付 東京新聞朝刊)
 地域の子どもたちが安全に登校できるよう見守り続けて38年。前橋市交通指導員を務める折原富造さんは、10月10日に88歳の誕生日を迎えた。1日も欠かさず続けてきた原動力は「子どもが好きだから。大人が守らないといけない」という深い愛情と使命感だ。
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横断歩道を渡る子どもたちを見守る折原さん=いずれも前橋市で

校長先生に拝み倒され、1984年から

 6日午前7時半、前橋市元総社町の道路。市街地や国道17号と結ばれ、通行量は多い。指導員の制服に身を包んだ折原さんは、横断歩道の前で市立元総社南小学校へ登校する児童を待つ。児童がやってくると、笛を吹いて車に停車を求めた。きびきびした動きに無駄がない。

 全員の通過を見届けると学校前に移動。この日は忘れもので自宅へ取りに戻った児童がいて、戻ってくるまで待機した。「こういう時は事故が起きやすい」と細心の注意を払う。一場喜久雄校長は「学校周辺は車の通行量が多く、子どもの交通安全には非常に気を使う。こうして見守っていただけるのは本当にありがたい」と話す。

 1984年、当時の校長から依頼され、交通指導員となった。「一度は断ったけど、拝み倒されて」。児童たちから毎年、感謝の言葉をつづった冊子が贈られるのが何よりの励みという。

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子どもたちの感謝の言葉がつづられた冊子に目を通す折原さん

競輪で130勝 引退後は食堂の厨房に

 前橋市は本年度から交通指導員の委嘱要件を20歳以上~80歳未満と定めたが、折原さんは「健康で任務遂行に支障がない場合はその限りではない」という例外規定の適用を受ける。

 健康を維持する理由の一つは、元競輪選手という経歴だ。中学生のころ、アイスキャンディーを売るため前橋競輪場へ足を運んだ。手にした出走表に書かれていた賞金額に心をひかれ、競輪学校に入学。40歳で引退するまで130勝を挙げた。

 引退後は前橋市内で妻と共に食堂を経営。妻が亡くなってからは1人で切り盛りする。厨房(ちゅうぼう)に立ち、代金計算をすることも「体と頭を使うからいい」。健康に過ごしているが、いつまで続けるかは思案している。「もうすぐ90歳になるのでね」。後任がすぐに見つかるか悩みどころという。

前橋市内に156人 最年少は44歳

 前橋市交通政策課によると、交通指導員は小学校46学区ごとに受け持ち地域が分かれ、156人が活動している。委嘱には地元小学校長、PTA会長、自治会長の推薦が必要で、謝礼は年15万円。折原さんのほかにも80代の指導員がいる。最年少は44歳で平均年齢は72.7歳。交通政策課の担当者は「地域の交通安全を守る重要な仕事。幅広い人に担ってほしい」と話している。

元記事:東京新聞 TOKYO Web 2022年10月19日

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