登校渋りをいつの間にか乗り越えた娘 子どもは自分のタイミングで翼を広げていく

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小学1年生になったばかりの4月、友達と一緒に登校(画像の一部を加工しています)

「おなかが痛い」「遠足が怖い」

新学期が始まり1カ月、駅に向かう途中で真新しいランドセルに背負われているような1年生と、付き添って登校する保護者の姿が目に留まりました。その光景に、6年前、小学校に入学した長女が登校を嫌がり、毎朝学校まで付き添っていたことを思い出しました。

入学して間もなく、朝になるとおなかが痛いと言い出すようになった長女。友達が迎えにきてくれたり、夫や私が学校まで付き添ったりして、ごまかすように毎日登校させていました。時には夫の提案で、一日休ませることもしました。

5月、初めての遠足。この日ばかりは登校を渋らないだろうと思っていましたが、これまでの中で一番の大号泣。「遠足なのになんで行きたくないの」と聞く私に、「小学校の遠足がどんなことをするのかわからないから怖いの!」と叫ぶように言い返してきました。遠足とは子どもにとってもれなく楽しいイベントだと思い込んでいた私には大きな衝撃でした。

その後も校門まで送っても引き返したり、校門や教室の前で立ち止まったりを繰り返しながら、登校の付き添いは1年以上続きました。

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休校期間中に乗れるようになった一輪車

2年生の終わりごろには、付き添う回数もだいぶ減ったように思います。この時期、新型コロナ感染拡大防止のための一斉休校で学校に通えず、近所の友達と公園で遊ぶ機会が増えました。

不思議なもので、学校に通えないと思うと通いたくなるようです。3年生になり、休校が徐々に緩和され登校機会が増えると、自ら進んで弾んだ足取りで登校するようになりました。友達が増え、先生との関わり方もわかってきたせいかもしれません。いつの間にか学校が大好きな子になっていました。

行かなくてもいいよ、と言えずに 

いま振り返ってみても、何が直接のきっかけになったのかはわかりません。学校に行きたくないという娘に、「行きなさい!」と怒ってしまったことも何度もあります。

自分の仕事のことや、一度休んでしまうとこのまま学校に行けなくなるのではないかという恐怖感から、「行きたくなかったら行かなくていいよ」という言葉もかけてあげられなかったという後悔もあります。

でもいま元気に一人で中学校の門をくぐって行く娘の姿を見て、子どもは自分のタイミングできちんと翼を広げていくんだなと感じています。文字通り付き添いしかできませんでしたが、それで良かったのかもと考えています。

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小学校に入る前、保育園最後の登園日。妹と父親と一緒に

私が初めての産休に入る前、以前の上司が私にかけてくれた言葉を時折思い出します。「子育ては大変だと思うけど、一生懸命やっていればなんとかなるよ。大丈夫、がんばって」

子育てに正解はないし、がんばりすぎて自分自身を見失うようなことがあってはなりませんが、一生懸命小さな命に向き合ってきた結果が今なのかなと思えるようになりました。

駅に向かう途中、見慣れた顔を見つけました。長女の同級生の男の子です。娘が泣いて学校に行けない時、通学路でいつも声をかけてくれた子でした。

「いっしょに学校行こう。あんまり泣いていると父ちゃんが仕事行けなくて困るぞ」と娘を学校に連れて行ってくれたあの子。泣かずに学校に行けるようになったのは、あの子のおかげかもしれません。

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