豪州大使館首席公使 ヘギョン(HK)・ユさん 韓国から一家で豪州へ 外交官への夢を支えてくれた両親

(2020年7月5日付 東京新聞朝刊)
子育て世代がつながる

家族のこと話そう

写真

(沢田将人撮影)

両親が「わが子に良い教育を」と移住 

 韓国人の両親のもと、ソウルで育ちました。教育を受けたのは父(79)は小学校まで、母(74)は高校まで。貧しく、私が11歳で豪州パースに移住した時、5人家族の全財産はバッグ5つ。父は英語を少し話せましたが、私たちは全然。それでも両親は「わが子にあらゆる機会を与えるのが親の務め」と常々話し、より良い教育環境を求めたのが移住の理由だったようです。

 パースには知人が移住していました。父は鉱山の厨房、母は缶詰工場で働き、後に夫婦でオフィスの清掃サービス会社を立ち上げました。重労働でしたが、とても仲がよく幸せそう。不平不満を一度も聞いたことがありません。

級友は私の名を「Yes」と思っていた

 わが家はアジアからの移民第1世代。当時、西オーストラリアは移民の子への公的な語学支援が乏しかった。英語が全くできず、転入した小学校でアイデンティティーの危機に陥りました。ソウルでは友達が多く成績もトップだったのに何一つできない。最初の数年はつらかった。何を聞かれても「イエス」しか言えず、級友は私の名を「イエス」と思っていたそうです。

 それでも先生や級友が親身に英語を教えてくれ、話せるようになると親しい友達も増えました。また両親の「意志があれば何でもできる」との教えを励みに勉強するうち、徐々に自信を取り戻していきました。

「退学して働く」と言った兄に両親は…

 ただ生活は苦しく、高校生だった兄が「退学して働く」と言ったことがあります。両親は「子どもが夢を諦めたら私たちも死んでしまう」と必死に説得、兄は大学へ進学し社会人に。あの時の両親の姿を思い出すと今も泣いてしまいます。

 私と弟も大学や大学院を出て、私は子どもの頃からの夢だった外交官に。働き始めてから学費を後払いする政府の「ヘックス」プログラムと、両親の無償の愛のおかげです。2人は私にとって力の源で、生涯の教師です。母からは努力の大切さと「心が美しく、親切な人を目指しなさい」と教わりました。外交官志望も「あらゆる国の人が、より良く暮らせる一助になりたい」との思いからです。

女性も移民も輝ける国 ルーツが強みに

 豪州は移民国家。多様な出自の人の優れた部分を生かし発展してきました。女性や移民も輝けるのです。私のルーツはむしろ強みです。両親は「ヘギョンは私たちの誇り。人生を豊かにしてくれた」と言ってくれます。

 2人はリタイア後もパースで、趣味のゴルフを楽しんでいます。東京に招待したいけど、当分できず寂しい。5人家族での週1回のオンライン飲み会が、今の楽しみです。

HK Yu(へぎょん・ゆ)

 1971年生まれ、ソウル市出身。11歳の時、一家で豪州パースへ移住。1991年に公務員となる。財務省、首相内閣省、外務貿易省などで要職を歴任。日本勤務は2度目で昨年11月より現職。

元記事:東京新聞 TOKYO Web 2020年7月5日

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