僧侶・作家 草薙龍瞬さん 親とわかり合えない 人生で一番泣いた日

井上昇治 (2023年8月20日付 東京新聞朝刊)
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自身と家族について話す草薙龍瞬さん(横田航洋撮影)

家族のこと話そう

屈折した父とけんかばかり 16歳で上京

 3人きょうだいの1番上です。父は地方公務員、母は保育士でした。

 父は、ずっと受験の失敗を引きずり、劣等感、挫折感を抱えて、屈折している人でした。非常に神経質で、子どもに対して過干渉。物心ついた頃から、そんな父と打ち解けられず、葛藤がありました。母は、仕事やつきあいで家を留守にすることが多く、父とけんかばかりの私に居場所はありませんでした。

 中高一貫の進学校に入りましたが、見えの張り合いのような勉強に疑問が湧き、「自分の人生の責任は自分で取る」と、中3の2学期で中退しました。16歳の夏に家を出て上京。年齢をごまかしてアパートを借りました。夜、公衆電話で実家に電話をし、母に「もう帰らへんで」と言うと、「頼むから、帰ってきて」と泣いていました。

 その後、独学で大学入学資格検定(大検)を受け、東大に入りましたが、自分がやめた進学校と同じ空気に失望しました。恵まれた立場にありながら、プライドを満たすために生きているように感じられました。お金にしろ、地位や頭脳にしろ、世の中のために生かすという発想を持たなければ、この社会は絶対に変わらないと。

 卒業後、いろいろな仕事をしましたが、実家には背を向け続けていました。自分がどう生きれば納得できるのか、まだ分からない中で、親との関係修復はできなかったんです。そんな中、29歳のとき、母が亡くなりました。

インドで出家 41歳で帰国、再会したが

 30代半ばで財産もすべて処分し、誰にも何も言わず、日本を離れ、インドで出家しました。日本に戻ったのは41歳です。その夏、京都に住んでいた父に会いにいきました。「親子なので、できれば最後は仲良くしたい」「今ならわかり合えるかも」という思いもあったからです。

 でも、父の挫折感、後悔、怒りは以前より激しいものになっていました。人間って、人生が思い通りにいかなくて、年を重ねることで逆に、その人の負の部分が強くなることがあるんですね。

 最後に車で父に京都駅まで送ってもらったんですが、私が人生で一番泣いたのはこのときですね。子の生き方を否定する父と、もう親子の関係を続けていくことはできないと、本当の別れを受け入れられたんだと思います。家を出て以来、ずっと親を苦しめているという罪悪感がありました。でも自分も40代。もう自分の人生を生きなければと、ようやく長い夢から覚めたのです。

 たくさんのものを捨ててきました。家を捨てるという罪も犯しました。そうしなければ生きていけませんでした。今も悲しみは残っていますが、せめてこの命を世の人たちに最大限生かそうと思っています。それが仏道に立った自分の罪滅ぼし、ようやくたどり着いた命の生かし方です。

草薙龍瞬(くさなぎ・りゅうしゅん) 

 1969年、奈良県生まれ。僧侶、作家。仏教を学ぶ道場「興道の里」代表。東大法学部卒業。インドで出家し、ミャンマー国立仏教大などで学んだ。インドの村で学校を運営。仏教を現実の問題解決に役立つ合理的な方法として説き、著書に『反応しない練習』『大丈夫、あのブッダも家族に悩んだ』『怒る技法』など。

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すくすくボイス

  • ちらみ says:

    東京新聞「ブッダを探して」拝読しています。

    無思考な大人や社会を純粋に感じ取れる人は多くはないがいると思う。でも、その先の行動力には驚かされる。覚悟が凄い。

    私は昨年、得度して僧侶になったが、自分の踏み出す一歩が決まらない。もしかしたら一生決まらないかもしれない。それでも考え続けることをやめてはいけないと思った。

    ちらみ 女性 60代
  • watashaw says:

    東京新聞の連載読んでいます。
    今後のご活躍に期待しています。

    watashaw 男性 70代以上

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