横沢高徳参院議員 モトクロスの事故で車いす生活、離婚… それでも子どもに見せてきた夢を追う背中〈ママパパ議連 本音で話しちゃう!〉

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立憲民主党の横沢高徳議員=東京・永田町の参院議員会館で(いずれも伊藤遼撮影)

本音で話しちゃう!のタイトルカット

練習中に脊髄損傷 妻は次男を妊娠中

 参院議員の横沢高徳です。前回のコラムを担当された衆院議員の中野洋昌さんから質問をいただきました。

 「横沢さんは、みなさんご存じのようにパラリンピック選手として活躍された方ですが、一方で2人の息子さんを長い期間お一人で育ててこられたとお聞きしました。選手生活と子育てをどのように両立されてきたのでしょうか。ぜひ教えてください」

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元パラリンピック選手の横沢議員。車いす生活を送っている

 ありがとうございます。まずは私がパラリンピック選手になった経緯からお話ししたいと思います。私は25歳の時、モトクロスの練習中の事故で脊髄を損傷し、車いす生活になりました。1997年12月のことです。高校卒業後にスズキに就職し、テストライダーを経てモトクロス国際A級ライセンスを取得し、全日本モトクロス選手権などに参戦して、上を目指していた最中のことでした。その時、長男は2歳。次男は当時の妻のおなかの中にいました。

「できないこと」を探してしまう日々

 ケガをしたことで夢も希望も見失い、しばらくは次の生き方もなかなか見つけられずにいました。ひたすらベッドの上で、生きる力も湧いてこないし、何をやっても楽しくない。「早く何か見つけなくては」と焦っていました。

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インタビューに答える横沢議員

 2歳の子とこれから生まれてくる子と一緒にサッカーをしたり、山登りをしたり、自転車に乗ったり、海に連れて行ったり…といろいろ楽しみにしていた矢先の事故でもあったので、「あれもできないなあ」「これもできないなあ」とできないことを探しているような感じでした。長男は当時、毎日のように病院に来てくれて、その時間はうれしくてベッドの上で抱っこしたり遊んだりしていましたが、帰ってしまうとまた、ネガティブなことを考えてしまうような日々でした。

 「自分は子どもたちに何ができるんだろう」「お父さんが車いすだという理由でいじめられたらどうしよう」…。今思えば、本当にいらない考えでしたし、今であれば逆に、車いすだから学べることもあるし、気づかないことも気づけるし、と前向きに捉えられることも、当時はずっと葛藤していました。父親として本当に子どもを育てていけるのかという不安の中で、生まれてきたのがまさに次男だったんです。

次男が誕生し、パラ五輪が新たな夢に

 次男は、私が入院していた盛岡赤十字病院で、翌年2月に生まれました。夜中に看護師さんに車いすを押してもらって産婦人科に連れて行ってもらい、生まれたばかりの次男と対面しました。

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1998年、次男誕生(本人提供)

 「ああ、元気に足が動いているなあ」と思ったのをよく覚えています。五体満足で、とっても元気にベッドの上で足を動かしていて、それだけでもありがたいことだなあと思いました。そんななかで、医師や看護師の方々、リハビリの先生、家族の支えがあって、チェアスキーと出会い、パラリンピック出場という新たな夢や目標を持つことができました。

 新たな目標を持てた時、頑張ってみようかな、と生きる力が湧いてきたんです。ありきたりかもしれないけど、夢を持つこと、希望を持つこと、目標を持つことが、生きる力の原点なんだということを、ケガを通して学ばせてもらいました。だからこそ、子どもたちにも、何でもいいから自分たちの好きなことを見つけて夢に向かって挑戦する人生を歩んでもらいたいと思いながら、子育てをしてきました。

親子というよりも「チャレンジ仲間」

 挑戦するなかから家族への感謝の気持ちや友達の大切さを学んだり、時に自分の無力さにぶち当たっても、それを乗り越えて自信をつけたり。そういう生き方を背中で見せることなら自分にできる。自分が夢に向かって挑戦する姿を見せるのも子育ての一環なのかなと思いながら進んできましたね。

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2004年、当時小学3年生と1年生の息子と=本人提供

 だから、私たち家族はずっと、親子というよりも、チャレンジする仲間、という感じでした。自分はパラリンピックに出て金メダルを取るという夢、子どもたちは自ら興味を持ってくれたバイクのレーサーとして世界一になりたいというかつての自分と同じ夢を追いかけてきました。同じ挑戦者、生きていく仲間として一緒に歩んでこられたと思っています。

子育てのスタイル 基本的に「放牧」

 子育てのスタイルですが、基本的には牛でいうと「放牧」です。とにかく何でも自由にチャレンジさせてきました。時には転ぶこともありますが、やはり経験することが子どもの成長につながるので。あまり縛らずに、あれやっちゃダメ、これやっちゃダメではなくて、もうどんどん何でもやれやれと言ってきました。当然、「友達を傷つけちゃダメだよ」「人の嫌がることをしてはいけないよ」といった最低限の常識を教えながら。

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2005年、小学4年生と2年生の息子と=本人提供

 例えばお兄ちゃんがバイクに乗ってみたいと言った時。レースを見に行ったことがきっかけでしたけれど、やっぱり危ないスポーツなので、自分のようになったらどうしよう、という思いもありました。けれども、それよりもやっぱり夢を持って目標を持って、本当に大好きなことだったらチャレンジさせたいという思いがありました。

 だから始める時、「危ないスポーツだから中途半端にやるのは駄目だよ。真剣に世界一目指してやるんだったら、それは応援するし一緒に頑張ろう」と約束しましたね。どうせやるのなら夢は大きい方がいいですから。

 世界に向かって挑戦しようと約束してスタートしたので、確かに日々いろいろ大変なこともいっぱいありました。でもそういう大きな夢、目標があったから、自分だけじゃなくて、子どもたちもそこに向かって歩んでこられたなと思います。

 冬はみんなで一緒にスキー場に行って、子どもたちがスキー用のポールを立てるのを手伝ってくれましたし、雪が解けると今度は子どもたちのバイクのシーズンが始まるので、自分が車を運転してバイクを載せて2人を山に連れて行っていましたね。だから皆で年中、山にいて、大自然に囲まれていました。

次男はプロのレーサーに 兄と世界一を

 長男は小学生の時に作文に「僕の夢はお父さんの夢」と書いてくれて。共通の夢やビジョンを持つことは、家族や子育てにとってはとても大事だなと感じましたね。

 お兄ちゃんの背中を追っかけて自然にバイクを始めた次男・拓夢は、「なんで俺バイク始めたのかなあ」なんて言っていましたが、お兄ちゃんに追いつけ追い越せで、今はプロのレーサーになりました。

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全日本モトクロス選手権で活躍する横澤拓夢選手(ブリヂストン提供)

 長男はプロの一歩手前までいったけど、ケガをしてしまって。弟が高校生の時にプロに上がったのを機に、弟のメカニックをやると言って、兄弟で世界一を目指すという新たな目標を掲げていました。

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7月30日の全日本モトクロス選手権 北海道大会 IA2クラスのヒートⅡで優勝。表彰台に登った横澤拓夢選手(ブリヂストン提供)

一人で父親役と母親役 日々一生懸命に

 私は、ケガをした5年くらい後に離婚をしてシングルファーザーになりましたので、1人2役をすることも常に心がけてきました。父親としての役と母親としての役です。

 もし両親がいたら、例えばお母さんに叱られた時には、お父さんが「お母さんはね、お前がこうだったからこういうふうにしたんだよ」というふうに教えると思うんです。それが1人しかいないので、ガツンと叱った後は、「いやさっきはね、こういうことでこうだから、お前にこういうふうになってほしいからこうしたんだよ」というふうに話してみたりしましたね。幼い頃は、お母さんが恋しい時もあって、それを感じ取った時には、お母さんの代わりに「おっぱいどうぞ」とやってみたこともありました。

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 でも今思い返すとあっという間でした。とにかく日々一生懸命やるだけでした。料理を作って食べさせたり、お弁当を必死で作ったり、お風呂に一緒に入ったり。たまたま自分の母親と同居だったので、足りない部分は補ってもらうことができました。そんな子どもたちも、長男は27歳、次男は25歳になりました。実は孫が3人いて、今はもうすっかり「孫育て中」です。

生きる目的を見つけられない子どもへ

 若者の自殺率が高い状況が続いています。生きる目的を見つけられずにいる子どもたちがたくさんいるのではないかと。だから私は、自分の25歳の時の経験を話すことが、子どもたちの生きる力に繋がるといいなと思っていて、小学校などで講演活動をしてきました。テーマは「夢に向かって」です。子どもたちにも、夢を持って生きることと、持たないで生きることでは、こんなに生きていく力って違うんだよ、っていうことを知ってもらいたいと思っています。

 国会議員になったのも、自分の経験を国づくりに生かしていきたいという思いがあるからです。その場しのぎの対策だけではなくて、やはり50年後、100年後を見越して、子ども子育て、女性、若者の政策をもっと進めるべきだし、進めることでこの国が抱えている課題が長期的には解決していくのだと思います。

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国のお金の流れを知るために作った模型を手にする横沢議員

 予算も同様です。家庭を持ってみて、子どもを育ててみて、何を一番に考えるかといったら、まずは子どもたちの生活ですからね。自分たちの食べるものを削ってでも子どもたちにかけるじゃないですか。これを国に置き換えたら、子どもたちにかける予算も十分ではないと考えています。政府は今、「異次元の少子化対策」を掲げていますが、政策も予算のあり方も名ばかりではなく、中身のあるものにしていくことが、この国の将来のためになると考えています。

 最後に次のバトンをお渡しする仁木博文議員への質問です。仁木さんは産婦人科医でいらっしゃるということでご自身のお子さんのご出産時のエピソードや、妊婦健診などへのお考えをお聞きしてみたいです。よろしくお願いいたします。

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支援者が描いた似顔絵などと笑顔を見せる横沢議員

横沢高徳(よこさわ・たかのり)

 岩手選挙区、当選1回、立憲民主党。1972年3月、岩手県矢巾町生まれ。岩手県立盛岡工業高校卒。スズキ株式会社テストライダー等を経て、モトクロス国際A級ライセンスを取得。1997年、練習中の事故で脊髄を損傷し車いす生活に入る。1999年にチェアスキーを始め、2010年にバンクーバー・パラリンピックにアルペンスキー日本代表として出場(大回転21位)。2019年7月の参院選で初当選(無所属)し、国民民主党に入党。2020年9月、立憲民主党に入党。子どもや若者、ひとり親、障害者スポーツの支援施策など経験を生かした政策に取り組むとともに、財政金融委員会筆頭理事を務める。

(担当:政治部・坂田奈央)

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