タレント ミッツ・マングローブさん 善悪より「粋か野暮か」を最優先した母

(2018年4月29日付 東京新聞朝刊)
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写真 母から受けた影響について語るミッツ・マングローブさん

母から受けた影響について語るミッツ・マングローブさん(由木直子撮影)

母とともに聴いた音楽

 10代から歌手を目指しました。音楽の素養ができたのは親の影響が大きいです。母が音楽好きで、家ではダイアナ・ロスやビートルズがかかっていた。母が弾いていたピアノもあって、幼稚園に入ってすぐ「習いたい?」と聞かれ、そこから20年近く続けました。

 あらゆるジャンルの曲を聴きました。テレビの音楽番組もよく母と見ましたし、クラシックピアノのコンサートにも行きました。いろいろな音楽を皆で聴いていました。

 父の転勤で中学卒業までロンドンで暮らしました。着いて数日後にアビーロードに連れて行かれて、横断歩道を歩くところの写真を撮られました。これがビートルズのアルバムジャケットのまねだったことは、家に帰ってから知りました。

 中学、高校とバンドをしていたころは、母に「早く目を覚まして、卒業したら普通の社会人になってちょうだい」と反対されました。でも、その母がバンドを始めた。さらにジャズのコーラスも。4人組でライブを開き数百人のお客さんを集めました。私が新宿2丁目のしがないステージで歌っていたころです。

 出産するまでコピーライターをしていた母は、しつけでも「善か悪か」より「粋か野暮か」が最優先でした。コーラスグループの「星屑スキャット」を結成した後、ライブに来た時は面白そうにしていましたね。きっと粋と思ってくれたんでしょうね。その日に「連れて行きたいところがあるから」と私たちメンバー3人を恵比寿の小さなバーに連れて行き「ここで歌ったらいいじゃない」と紹介してくれました。

「オカマの道」に力を貸した父 

 20代半ばで女装するようになってからも実家に住んでいましたが、整理整頓は大の苦手で衣装だらけに。ある日家に帰ると、衣装ケースが置かれていて、全てきれいにしまわれていた。父だったんです。「衣装は商売道具。大事にできなければ大成しない」とメモが貼ってありました。

 伊勢丹の宣伝部にいた父はさまざまな業界に精通していました。私が「新宿のオカマ」なら、父は年季の入った「新宿の男」。丸の内の新丸ビルのスナックでママをしていた時期があるんですが、それも父の紹介がきっかけ。オカマの道を選んだ息子に力を貸したんです。業界の人に紹介してもらい、そうした縁が今につながっています。

 誕生日や母の日は祝わない家族ですが、新年だけは全員集まってあいさつします。両親は元気ですが70を過ぎ、家族で旅行をしておいた方がいいのかなと考えることも。ただ2人とも主催をしたがるので、私にはさせてもらえないかもしれませんけれど。

ミッツ・マングローブ

 1975年、横浜市生まれ。中学時代をロンドンで過ごす。慶応大卒業後、英ウエストミンスター大で商業音楽を学ぶ。2009年からテレビ出演多数。11年に歌手デビュー。コーラスグループ「星屑スキャット」としてもデビューし、25日に初のアルバム「化粧室」を発売。

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