岐阜の昆虫博物館長 名和哲夫さん 義父でもある先代館長、知識も話術も一流だった

佐橋大 (2020年5月17日付 東京新聞朝刊)
子育て世代がつながる

家族のこと話そう

ファーブル昆虫記が原点 でも大学にはなじめず…

 男ばかりの4人兄弟の末っ子に生まれました。本好きな一番上の兄が持っていたファーブル昆虫記を読み、出てくるゴミムシの仲間が近くの畑にいて、興味を持ちました。何を食べるのかを予想し、いろいろなエサを与えて観察するのが面白くて、科学の道に進みたいと思いました。

 大学でも農学部で昆虫について学んだのですが、研究室のテーマが、ゴルフ場の害虫が農薬でどのくらい減るか。雰囲気になじめず、卒業後は、学校の先生になろうと思いました。しかし、4年のときに教員免許の取得に必要な単位を取っていないことに気付き、単位を取るために岐阜大大学院に進みました。

義父は元落語家志望 地元ラジオでDJ務める著名人

 大学院1年のときに、後の義父になる先代の館長(故・名和秀雄さん)と初めて出会いました。先代は、東京の下町生まれで、落語家志望。話し上手で、岐阜のラジオ番組のDJをしていました。地元の著名人として、悩み相談にのったり、音楽を紹介したり。知人がその番組に出ることになり、ついていき、その後、博物館に出入りするようになりました。

 先代はさばさばした性格で、運営費用を稼ぐために、広報係に徹して講演に力を入れていました。昆虫の知識や、それを面白く話す話術は一級品。虫のことなら何を聞かれてもすらすらと答える。すごいと思いました。

「おまけ先生」と呼ばれ、辞めようと思ったけれど

 教員採用試験には受からず、ちょうど博物館の研究員に欠員が出て、博物館に就職しました。でも、すぐに行き詰まりました。

 博物館には地域の子どもたちが捕った虫を持ってきて、いろいろ尋ねます。でも、僕は大学で特定の虫しか扱っておらず、答えられない。知識がないことを子どもたちはすぐ見抜き、付けられたあだ名は「おまけ先生」。何でも答えてくれる先代や他の研究員の「おまけ」と。

 「辞めよう」と思っていた5月、先輩に誘われてミヤマカラスアゲハを捕りにいき、魅力に取りつかれました。美しい姿もさることながら、飛ぶルートを見極めなければ捕まえられない。奥深い。

自信がついて結婚 夫婦で山下達郎さんの大ファン

 虫を捕り、調べて、標本にして、という作業に没頭。自信が付いてきた1982年、付き合っていた先代の一人娘と結婚しました。音楽が共通の趣味で、大学院時代に僕のバンドに入ってもらい、仲良くなりました。山下達郎さんの大ファンで、毎年ライブに一緒に行くのが楽しみです。

 それでも、結婚後も1年ほどは、講演などでは旧姓の「高須」を名乗っていました。「名和」と言えば、「虫のことなら何でも知っている」と思われるのが怖くて。今は、生前の先代の話術も参考にしています。

名和哲夫(なわ・てつお)

 1955年、愛知県西尾市生まれ。静岡大農学部、岐阜大大学院農学研究科を経て、1980年に岐阜市の名和昆虫博物館の研究員に。2003年に5代目の館長になった。同館は、ギフチョウを発見したことで知られる昆虫学者、名和靖が1919年に開設した。

元記事:東京新聞 TOKYO Web 2020年5月17日

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