演芸家・二代目 江戸家小猫さん スタイリッシュで華やかな父は憧れ

佐橋大 (2023年3月12日付 東京新聞朝刊)
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父の四代目江戸家猫八さんについて話す二代目江戸家小猫さん(中森麻未撮影)

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私の指をくわえて「ホケキョ」

 21日に、動物ものまね芸で知られる江戸家猫八の五代目を襲名します。この日は、父であり師匠でもある四代目の命日でもあります。父が66歳で亡くなってから7年になります。

 物心ついた頃から、いずれ跡を継ぎたいと思っていました。父はウグイスの鳴きまねが得意で、スタイリッシュで華やか。現れるだけで場が明るくなり、憧れでした。

 父は教え上手でもありました。小学校に上がるかどうかの頃、風呂で父をまねてウグイスの指笛をしました。もちろん音は出ません。それを見て父は「貸してごらん」と、私の指をくわえて「ホケキョ」と鳴いてくれました。その時の感動と、父が小指の付け根をかんだ感触は今も残っています。自分の指でも音が出るんだと胸躍りました。息子の好奇心を大切にし、楽しく手を差し伸べてくれました。

一時は跡を継ぐことを諦めた

 一方で、「芸事は厳しい世界だからよほど好きでないと務まらない。他にやりたいことがあったら跡は継がなくていい」とも言われました。ただ、「ウグイスだけは鳴けるようになってほしい。それが江戸家がつながっている証しになるから」と。無理に継がなくていいと言いながら、幼い頃の私の小指をくわえてウグイスを鳴いてくれる、そんなさじ加減が上手でした。

 私自身はというと、中学、高校で自分の性格が分かってきました。とにかく真面目。「自分の性格で舞台が務まるだろうか」と悩み始めた。そんな中、高校3年生で、腎臓の病気「ネフローゼ症候群」になり、長く自宅療養に。闘病は12年におよび、跡を継ぐことを一時は諦めました。

 病気との折り合いがつき始めた32歳の時、父は四代目江戸家猫八を襲名。全国での披露公演を手伝ううちに、自然と継ぎたい思いがよみがえってきた。父に入門し、経験を積みました。

父は否定せず、即リカバリー

 親子共演では私のアイデアを否定せず、すべて試してくれました。うまくいかなければ父が即リカバリーし、うまくいったら即採用。私が同じ世界に入ったことは、相当うれしかったんだと思います。お客さんからは「小猫さんと共演している時のお父さんは満面の笑みなんだよ」とよく言われました。

 芸に関しては「動物たちが師匠。本物の動物の鳴き声をよく聴きなさい」。これが父の教えでした。表面的にまねをするのでなく、なりきることが大切。私が、全国の動物園とつながり、珍しい動物の鳴き声に挑戦し始めたときも、父はとても喜んでくれました。

 江戸家猫八を襲名することは、相当な覚悟と決意が要りますが、父から学んだ教えの数々が、父亡き今も私をしっかりと支えてくれています。

江戸家小猫(えどや・こねこ)

 1977年、東京都生まれ。2009年四代目江戸家猫八である父に入門。2011年、立教大大学院修了、二代目江戸家小猫を襲名。ウグイス、ヌー、フクロテナガザルなど、鳴きまねの幅は広い。今月21日~5月20日に、東京・上野の鈴本演芸場など都内5カ所で、「五代目江戸家猫八襲名披露興行」をする。詳しくは、江戸家小猫の公式ホームページで。

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