庭師・俳優 村雨辰剛さん 優しい母と「アメとムチ」、育ての父は憧れの存在

川合道子 (2024年1月20日付 東京新聞朝刊)
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家族について話す庭師・俳優の村雨辰剛さん(川上智世撮影)

家族のこと話そう

日本への移住 父も母も応援

 スウェーデンでは、法律上の結婚をしない事実婚のカップルが珍しくありません。結婚しても離婚することも多いです。僕の父と母も幼い頃に別れ、僕は母と暮らしていました。その後、母が再婚したので僕には父が2人います。

 日本では親が離婚すると、片方の親となかなか会えないことも多いようですが、スウェーデンでは、お互いの家を行き来するのが当たり前で、僕は週末ごとに実の父の家で過ごしていました。それぞれの家庭に、異父、異母のきょうだいがいて、僕には合わせて5人の弟と妹がいます。

 育ての父は、空軍のパイロットでした。勉強に対しては特に厳しく「ちゃんと成績を取ることは君の仕事だ」と、言われたのを覚えています。父の職場で戦闘機に乗せてもらったことも思い出の一つです。厳しかったですが、憧れの存在でもありました。

 母は老人ホームで介護の仕事をしていて、夜勤もこなしていました。どんな時も優しく、見守ってくれるタイプ。「アメとムチ」で父とのバランスは良かったと思います。

 僕が本格的に日本語を学び始めたのは、高校の授業で日本の歴史を学んだことがきっかけです。特に戦国時代、上杉謙信が敵方の武田信玄の領地に塩を送って助けたという話は印象深く、本来はやっつける相手なのに、武士の情けというか、そんな武将同士の関係性に興味を持ちました。

 それから辞書の言葉を暗記したり、インターネットのチャットで日本にいる人とやりとりしたりして日本語を覚えました。高校卒業後に日本に移住すると決めたのですが、父も母も、僕が情熱を持って勉強していたのを知っていたので応援してくれましたね。

厳しい親方 家族のような関係

 最初は名古屋市内の外国語教室で講師として働きましたが、もっと日本の伝統文化に触れられる仕事がしたいと思っていました。そんなときに求人誌で見つけたのが造園のアルバイト。やってみると、これほど日本文化とつながっているものはないと感じ、庭師を一生の仕事にしたいと思いました。古くから植木の産地で城下町でもあった愛知県西尾市の「加藤造園」に弟子入りし、修業を積みました。

 親方は厳しかったですが、5年ぐらい一緒にいたので、家族のような関係性でした。26歳で日本国籍を取得するとき、どんな名前に改名するかを相談したのは親方。独立して関東に拠点を移してからも、毎年会いに行っています。

 今はメディアの活動と庭師を両立させています。自分のスタイルを探っている段階ですが、日本が持つ美意識を大切にしつつ、僕にしかない味を出していけたら。まだスウェーデンの家族は日本に来たことがありません。人数が多いので大変ですが、いつか呼んで僕が好きな場所を案内したいですね。

村雨辰剛さん(むらさめ・たつまさ)

 1988年、スウェーデン生まれ。19歳で日本に移住し、23歳で造園業へ。庭師として日本庭園の魅力などをSNSで発信しながら、俳優としても活躍。昨年はNHKのドラマ「大奥」「どうする家康」などに出演。Eテレ「趣味の園芸」のナビゲーターも務める。著書に「村雨辰剛と申します。」(新潮社)。YouTube「村雨辰剛の和暮らし」を配信している。

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  • オカリーナ says:

    日本を愛して下さりありがとうございます。
    私が住む町にも日本の文化が広がっています。それを好きになって大切にしていく事は国を愛する事に繋がると気がつきました。日本の四季も文化も素晴らしいと教えて頂きましたね。私も日本の国の発見を楽しみながら日々過ごします!

    オカリーナ 女性 50代

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