俳優モデル 栗原類さん ADHDで負けず嫌いの母 勉強はできなくても好きなことを努力するよう支えてくれた

古根村進然 (2026年1月11日付 東京新聞朝刊に一部加筆)

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母親について話す俳優・モデルの栗原類さん=東京都千代田区で(石橋克郎撮影)

カット・家族のこと話そう

各界で活躍する著名人が家族との思い出深いエピーソードを語るコーナーです

子どものころは明るく前のめりだった

 母親(通訳・音楽ジャーナリストの栗原泉さん)が日本人で、父親がイギリス人です。母がイギリスにいるときに父と出会い、日本で僕を出産しました。結婚はせず、シングルマザーとして育ててくれました。僕は子どものころ、今と真逆で、元気で明るく前のめりな性格でしたね。幼少期からモデルをしています。

 音楽関係の翻訳や通訳などをしていた母の仕事の影響もあり、小学校時代は、日本とアメリカの学校を行き来していました。注意欠陥障害(ADD)と診断されたのは、8歳のころ。アニメ映画「ファインディング・ニモ」で、物忘れが激しいドリーが好きだと伝えたとき、母から打ち明けられました。

 ただ、当時は何のことかよく理解できず、発達障害を自覚したのは中学生のころ。集中力を長く保てず、短期記憶やマルチタスクが苦手です。今でも皿を洗って外出しようと思っても、身支度を整えるのに時間がかかってできない場合があります。

 母は人に言われたことを何でもできるタイプですが、僕には「どうしてできないの」とは、口が裂けても言わないようにしていたそうです。でも、母には注意欠陥多動性障害(ADHD)があります。負けず嫌いで何か一つ言われたら、100言い返さないと気が済まない性格。僕が小学生のとき、僕だけ名前を漢字で書けないことを先生に指摘されると、母は「名前を英語で書けるのは類だけです」と答えていました。

 母の教育方針で、フランスやベルギーの美術館などを訪れ、独特の美学や感性が芽生えました。アメリカのアニメ「パワーパフガールズ」を英語と日本語で見比べ、訳し方など言葉の表現を学ぶなどしました。さまざまな音楽や映画にも触れ、自分のセンスを確立できたと思います。勉強は不得意でしたが、好きなことを頑張って努力するよう支えてくれました。母は姉や友だちのような存在です。

阿部寛さんや大沢たかおさんに憧れて

 モデルからお芝居の道へ進んだのは、俳優の阿部寛さんや大沢たかおさんら、モデル出身でテレビドラマや映画などで活躍している方々の姿に憧れたから。でも、感情表現や人の心の動きを読み取るのが不得意で、当初は母と一緒にドラマを見て、役者の表情などを解説してもらいました。俳優は怒りをあらわにしたり、叫んだりと本来の自分に備わっていない性格を演じられるのが魅力です。アメリカのアカデミー賞にノミネートされるよう頑張りたいです。

 僕は毎日同じ時間に起きて決まった場所に行くという生活が苦手です。いろいろな場所に行き、毎回異なる役柄を演じられる俳優やモデルの仕事が向いています。障害の有無にかかわらず、多くの人が自分自身を理解し、好きになり、恥ずかしがらずに自分らしく表現できるようになればもっと生きやすい世の中になるのかなと思っています。

栗原類(くりはら・るい)

 1994年、東京都生まれ。5歳からモデル活動を始め、パリ・コレクションに出演。テレビドラマ「ルパンの娘」や舞台「気づかいルーシー」に出演したほか、映画やラジオなど幅広く活動している。著書に「発達障害の僕が輝ける場所をみつけられた理由」(KADOKAWA)がある。4月4日から東京芸術劇場で始まる舞台「社会で生きる動物」に出演する予定。

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  • あも says:

    息子もADHDです。現在小学生。理解しきれない部分も多く、息子が苛立ったりすると、どう答えるのが正解なのか悩んだりします。栗原さんのように、経験を言葉にしてくださると、息子の分からなかった部分に、そうだったんだ…と重なる部分が多く、勉強になります。こうしてほしかったんだ…なるほど!と思いました。栗原さんと同じく、ポケカも好きで、息子も栗原さん大好きです。応援しています。

    あも 女性 40代

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