教科書も点数もないシュタイナー教育100周年 俳優・斎藤工さんが母校の魅力を語る 映画監督・河瀬直美さんと対談
小学1年から6年の2学期まで
斎藤さんの両親はシュタイナー教育の導入に熱心で、1987年に国内で初めて新宿区にできたシュタイナー学校「東京シュタイナーシューレ」(現シュタイナー学園)の設立にかかわった。姉は1期生で入学し、斎藤さんも2期生で小学1~6年生の2学期まで在学した。
法律に基づく学校ではなかったため、経済的には火の車だったという。「バザーを開いたり、いろんな人がカンパしてくれたりしていた。今思うと本当にありがたい」。運動会を吉祥寺の井の頭公園で開いたことも。「玉入れとか。あれ、勝手にやっていたんですよね」。各家庭が当番制で昼食をつくるなど、教員と保護者が協力して運営していた。
みんなで唱えた「手のしごと」
シュタイナー教育では、「自分の意志で歩める自由な人を育てる」という理念から、教科書も点数評価もない。演劇や描くことなど体験を多く取り入れ、野外で小屋を建てたり、土地の測量をしながら数学の定理を理解するなど、独特のカリキュラムを持つ。斎藤さんは、自分で一から物を完成させる手仕事の授業が特に好きだったといい、授業前にみんなで唱えた詩を、会場で朗読した。
わたしの 手
あなたの 手
手は うごく
手は はたらきたい
わたしの 手は
あなたを たすけ
あなたの 手は
みんなを たすける
手は 世界のなかに はいっていき
人間のために はたらく
わたしの 手
あなたの 手
みんなの 手で
世界が うごく
世界が かわる
この 手の しごとで
色がにじんで混ざり合う教育
子ども同士、親同士の関係も密だった。同級生の家に泊まったり、自宅にみんなが来る「お泊まり会」もあった。やんちゃで「一番問題児だった」という斎藤さんに対して「自分ごとのように心配してくれる大人たちがいっぱいいた。子ども心にも分かり、罪悪感が生まれたりして」
そんな環境の価値が分かったのは、6年生の3学期に公立校へ転校した後だった。「公立では物事のプロセスより、答えが優先されると肌で感じた」。子どもたちの感情を水彩の「色」にたとえ、「画面で色が伸び、にじんでほかの色と混ざり合う」ようなシュタイナー教育に対し、公立校では「(絵に)輪郭があり、その中に色がある感じ」と表現。ただ、公立でも素晴らしい仲間との出会いがあり「否定するつもりはない」とした。両者の違いを知って、物事のとらえ方の基礎になったと語った。
キーワードは「世界は美しい」
河瀬さんは10数年前、歌手のUAさんに「普通は1+1は2、と教わるけど、2は何からできてるかを教えてくれる学校」と聞いたのがシュタイナー教育を知った最初だったという。今回、学校側から100周年記念のショートムービーの制作を依頼され、1年間、季節ごとに学校を訪れた。授業を見学し、子どもたちの様子を間近で見て「感動的な体験だった」と話した。
会場で、シュタイナー教育のキーワードの一つとして「世界は美しい」という言葉が紹介された。美しさを感じるから、守ろうとする気持ちが芽生える。奈良県出身で、豊かな自然の中で育ったという河瀬さんは「私が幼少期に感じたことに近い」と語った。
自身の世界との向き合い方について、「私たちは芸術で戦争をなくそうと思っている。なくせた人は今までいないけれど、芸術で世界を変えて本当に輝く未来が立ち上がってくると信じたい」と語った。
斎藤さんも「こういう時代だからこそ、映画や芸能が薬のような役割を発揮するべき。いろんな人とのかかわりを信じて、薬草のような表現を自分なりにしていきたい」と語った。
記念イベントは、シュタイナー学校の関係者や保護者らでつくる「未来の教育を考える会・ヴァルドルフ100ジャパン」の主催で、会場ではシュタイナー教育を紹介するパネル展も開かれた。パネル展は1年かけて東京のほか北海道や神奈川、愛知、福岡県などを巡回する予定。
シュタイナー学校とは
「既存の社会に子どもを合わせるのではなく、子どもの可能性を伸ばし、その自由な発想で人間的な社会をつくる」という思想家ルドルフ・シュタイナー(1861~1925年)の考えに基づき、教育を行う。1919年に初めてドイツで開校し、世界で現在1000校以上あるといわれる。国内では80年代ごろから関心が高まり、現在、小~高等部の学校が北海道、東京、神奈川(相模原)、愛知、京都に計5校、小・中等部の学校が神奈川(横浜)、福岡に1校ずつある。2校が学校法人を取得するなど社会的な認知も進む。幼児教育施設は50以上ある。
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