シンガーソングライター タテタカコさん 反抗期で悪態をついても 長い目で見てくれた両親

有賀博幸 (2023年8月27日付 東京新聞朝刊)
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両親について語るシンガー・ソングライターのタテタカコさん(有賀博幸撮影)

カット・家族のこと話そう

歌が好きな家族 いつもレコードが

 幼い頃は父母、姉、父方の祖母の5人家族で、長野県飯田市で育ちました。姉とも8歳離れており、親がいっぱいいる、みたいな感じでしたね。歌が好きな家族で、私が眠るときにはいつも、童謡や昔の曲のレコードがかかっていました。

 初めて曲を作ったのは小学3、4年の頃です。通っていたピアノ教室で「オリジナル発表会」というのがあり、そこで発表しました。戦争に関する歌を作ったこともあります。赤紙が来た兵隊さんが、電車に乗って戦場に赴くという内容です。社会科の授業で戦争について学び、図書館で『はだしのゲン』を読んで衝撃を受けた影響があったのでしょう。

反抗期の気持ちが『宝石』のもとに

 思春期に入り、急に気性が荒くなりました。反抗期です。父に冷たくしたり、母に「クソババァ」と悪態をついてみたり。母は「新聞紙を破りなさい」とか、ムシャクシャした時の対処法みたいなことを言ってくれましたが、内心途方に暮れていたと思いますよ。中学高校と、体も心も変化する中で、背伸びしようとする自分と、自信がない自分がいて、折り合いがつかなくなる感じでした。人に伝える手段も分からず、気持ちのままをノートに穴が開くほど書いていました。是枝裕和監督の映画『誰も知らない』の主題歌になった『宝石』は、そこから生まれているんです。

 東京の音大の3年生だった年に、父が勤め先の建設会社をリストラされました。覚えていませんが、母には「大学をやめて働こうか」と言ったそうです。でも、父は別の土木会社に入り、全国各地の現場で長期泊まり込みで働いて、学費を稼いでくれました。

母の思い「他人さまが育ててくれる」

 卒業後、飯田に戻り、バイトをしながら、細々とライブ活動をしていました。ちょうどソニーミュージックで地方在住のアーティストを発掘する企画があり、オーディションを受けることになったんです。2次審査で落ちましたが、1次審査の映像を見た是枝監督から「今撮っている映画に『宝石』を使っていい?」と。思わぬ申し出でした。

 母は「親ができるうちは子どもにするが、そこから先は他人さまが育ててくれる」という思いを持っていたようです。振り返れば、歌手になるきっかけを作ってくれた高校の音楽クラブの恩師、ミュージシャン仲間、さらに全国各地のライブ先では、自分が住む町を誇り、大事にする人たちと出会ってきました。出会いの連続が、新しいことに怖がりの私の心の扉を開き、ここまで連れてきてくれました。

 父は79歳、母は10月で78歳になります。親との関係は変わってきましたが、まだ支えてもらっているんじゃないかな。父は今でもよく「一生懸命やりなんよ」と言ってくれます。長い目で見てくれている人たちの存在って大きいですね。

タテタカコ

 1978年、長野県飯田市生まれ。国立音大音楽教育学科卒業後、飯田を拠点に全国でライブ活動を展開する。映画「誰も知らない」(2004年公開)では、コンビニの店員役で出演も。映画「アルゼンチンババア」(2007年公開)「ミスミソウ」(2018年公開)の主題歌、劇団「鹿殺し」の公演「銀河鉄道の夜」などの音楽も手がける。

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