元なでしこジャパンDF 岩清水梓さん 妊娠でサッカーは引退と思ったら、母が「もったいないじゃん」

岩清水梓選手(久野千恵子撮影)

各界で活躍する著名人が家族との思い出深いエピーソードを語るコーナーです
厳しい父のゲキがなければ…
2020年に長男を出産しました。サッカー人生において、ある程度「潮時かな」と考えていた時期。子どもを授かったときは「やめ時」だと思ったんです。
妊娠と引退の報告をしに、実家に行きました。すると、母が「もったいないじゃん」って。以前から「出産後に現役復帰している選手ってかっこいいな」とあこがれていましたが、母のひと言でそれを思い出しました。また心に火が付き、モチベーションが上がって、復帰を目指すことにしました。
報告の場で、父はぶち切れていたと思います。幼い頃から厳しく、スポ根気質だったので「プロ選手が私的な理由で引退するなどもってのほかだ」と思っていたんでしょう。だまっている父が怖くて、父の方を見ないようにしていました。
でも、この世界でサッカーができているのは父のおかげなんです。中学1年のとき、ベレーザの育成組織のセレクションに知らないうちに応募したのは父でした。それまでサッカーは単なる遊びでしかなかったんですが、その先のプランを親として見てくれていたんだなと思います。父のゲキがなければ、私は多分、いまここにはいません。
反対に、母は常に寄り添ってくれる存在ですね。高校、大学と毎日お弁当を作ってくれて、悩んだときもアドバイスをくれる。良い意味で適当な感じなんですが、それも心地よいんです。よく会話ができる関係。今でも一緒に買い物に行ったり、お茶したりしています。
そんな両親に恩返しができたと思ったのは、2008年の北京五輪のとき。選手の親を試合に招待するツアーのような催しがあり、2人に来てもらいました。多分、それまで海外旅行なんてしたことなかっただろうから、ツアーをプレゼントできて、うれしかったですね。2011年のワールドカップ(W杯)で優勝したときは、父が1人で開催地のドイツまで来ていましたよ。「おれが行ったから優勝できたんだ」なんて自慢してるの。楽しかったらしいですよ。
夫のおかげで練習に専念
出産を経て、リハビリに打ち込めたのは夫のおかげです。復帰の時期から逆算してすごく育児に携わってくれました。合宿や遠征のときも嫌がることなく長男と留守番してくれます。背中を押してくれる存在ですし、パートナーとして本当に感謝しています。
選手として長男と一緒にピッチに入場するという夢は、2022年にかなえることができました。現役でいられる期間は長くないですが、後はやり切って引退したい。セレモニーでは、長男に手紙を読んでほしいな。恥ずかしがっちゃうかもしれないけれど。長男にはサッカーに限らず、何か熱中できるものに出会ってほしいなと思っています。
岩清水梓(いわしみず・あずさ)
1986年、岩手県出身。小学1年でサッカーを始め、高校2年で現日テレ・東京ヴェルディベレーザへ。なでしこジャパンの主力DFとして2011年のW杯優勝、2012年のロンドン五輪での銀メダルの獲得に貢献。なでしこリーグでは13年連続でベストイレブンに選ばれ、その功績により、リーグ特別賞も受賞した。
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