シンガー・ソングライター 山木康世さん 父の思い出は土のにおい 生き方を相談したくなる

服部利崇 (2020年10月4日付 東京新聞朝刊)
子育て世代がつながる

家族のこと話そう

写真

(松崎浩一撮影)

祖父が山形から北海道へ入植 父はジャガイモの研究員

 生まれは札幌です。父方の祖父が山形から入植し、リンゴ園を開きました。リンゴ栽培は伯父が継ぎましたが、敷地内で父と母、姉2人、兄1人の6人で暮らしました。

 1913(大正2)年生まれの父は国家公務員。目が悪くて戦争には行かず、北海道にとどまり、ジャガイモの研究員として病気に強い品種作りなどに励んだそうです。

 母はニシン漁の網元の次女として、1920(大正9)年に樺太(からふと)で生まれました。小学生の時に函館へ移り、キリスト教系の女学校で学びました。外国文化に親しみ、ルノワール(仏画家)やフォスター(米作曲家)が好きでしたね。

高1でギターを始め、大学の後輩と「ふきのとう」結成

 父は単身赴任が長く、自宅には土日しか帰ってきませんでした。ただ3~9歳までの間、札幌から数十キロ離れた羊蹄(ようてい)山の麓にある国の農場に父が赴任し、家族一緒に暮らしました。この時の春夏秋冬、家族の思い出を、後によく歌にしました。

 音楽の原体験は15歳の夏です。ラジオから流れたベンチャーズやボブ・ディラン。加山雄三に憧れてウクレレを手に取りましたが物足りないので、高校一年からギターを始めました。今でもギターは趣味であり道楽。好きなことをして生きていけるのは本当に幸せです。

 道内の大学で、仲間とフォークソングクラブを立ち上げました。大学の2年後輩と組んだ「ふきのとう」で東京のコンテストを何度も受けました。面倒なので、いちいち親に説明しませんでした。父は手堅い職業に就いてほしいと思っていたでしょうが、親から反対はされませんでした。

 僕のデビューした頃、定年を迎えた父は退職金で土地を購入。自ら土地をトラクターで耕したりしてダリア園を開きました。研究を重ね、新しい花を毎年20種類以上作っていました。ダリア園は今、上の姉が継いでいます。

震災と原発事故で変わった音楽観 意思やメッセージを

 父の思い出は木のにおいです。樹木の皮をはいだような、樹液のような。父は中学卒業の時、寄せ書きに「土と生きる」と記したそうです。父はその決意のまま、農場の研究員、ダリア園の育種家として2009年に94歳で亡くなるまで土や木と生きてきました。だから、においが体に染みついたんでしょうね。

 2011年の東日本大震災と原発事故で、音楽観が変わりました。美しいハーモニーが特徴の「ふきのとう」時代よりも、自分の意思やメッセージを詩に強く込めるようになりました。今もコロナ禍で、みんな疑心暗鬼です。こうした世の中で、どう生きていけばいいか、いつも考えています。そんな時、少年の気持ちで花に向き合ってきた父に「大丈夫かな、俺」って。相談してみたくなるんですよ。

山木康世(やまき・やすよ) 

 1950年、札幌市(旧・豊平町)生まれ。1974年、大学の後輩、細坪基佳(ほそつぼもとよし)さんと組んだフォークグループ「ふきのとう」でデビュー。1992年の解散後は、ソロでライブ活動を中心に全国を回る。「古希大祝賀会」を10月21~25日、東京都荒川区のキーノート・シアターで開く。問い合わせは、山木倶楽部=電話090(5316)9071=へ。

元記事:東京新聞 TOKYO Web 2020年10月4日

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