シンガーソングライター 渡辺真知子さん 思いがけない父の言葉で、母は報われた

服部利崇 (2018年4月15日付 東京新聞朝刊)

家族のこと話そう

両親について語る渡辺真知子さん(朝倉豊撮影)

芸能界入りに反対、でも隠れて聴きに来てくれた

 祖父母、父母、6学年離れた兄の6人家族で育ちました。音楽好きな家族で、地方公務員だった父はNHKのど自慢の本選に出場したこともありました。鐘二つでしたが。

 祖父が歌う「憧れのハワイ航路」は楽しかった。雰囲気が最高。エンターテイナーでしたね。兄も音楽が趣味で、私が小学生の時、兄のギターでPPM(ピーター・ポール&マリー)の「パフ」をハモったりしていました。いつも歌がある家で、私も自然と音楽好きになりました。生まれて半年で「♪ハトぽっぽ」と口ずさもうとしていたようですよ。

 デビューのきっかけはヤマハのポピュラーソングコンテスト。短大入学の年に本選で特別賞を受賞しました。両親は芸能界入りに反対しませんでした。デビューの夢に向かい、コンテストの予選を勝ち抜いている娘に、反対できなかったのでしょう。

 デビューしても、父は何も言いません。でも、営業先の横浜のレコード店で歌っていると、隠れて聴きに来ていました。さらに私に内緒で「迷い道」のレコードを購入。周囲に配っていたそうです。本当にありがたかったですね。

 デビューしてから浮き沈みもありました。バンドブームに押されていた30歳のころ、愚痴を言う私に父は「突っ張るだけ、突っ張れ」と、励ましてくれました。父も、そうしてきたのでしょう。社会人と認めてくれた上でのアドバイス。うれしかったです。

恥ずかしくて言えない言葉も、歌なら言える

 専業主婦の母は芯の強い女性。周囲は「鉄の女」と呼んでいました。私が弱音を吐いても、母は「頑張れ」とは言いませんでした。あえて「食べられなくなったら戻ってきなさい」と言い、私のやる気に火を付けました。私の負けん気の強さをよく知っていたんですね。

 地元の金融マンになった兄はやさしく、私の気持ちがわかる人。幼稚園の時、友人の扇子を欲しがると、小遣いで扇子を買ってくれました。ただ、絵柄は望んでいたディズニーキャラではなく、なぜか桜でしたが。

 母は2006年、父は07年に亡くなりました。母は晩年、父から「苦労をかけた」とねぎらいの言葉をかけられました。堅物で優しいとは言えなかった父、そして家族に尽くした母。思いがけない父の言葉で、母は報われたのでしょう。

 四十周年記念アルバムに入れた「私はわすれない~人生が微笑(ほほえ)む瞬間(とき)」は、この母の喜びをつづった歌です。他にも父や母をテーマにした歌があります。生きていたら恥ずかしくて言えない言葉も、歌だと素直に言えます。自分流の愛情表現ですね。

わたなべ・まちこ

 1956年、神奈川県横須賀市生まれ。77年に「迷い道」でデビュー。「かもめが翔(と)んだ日」もヒット。伸びやかな声量でジャンルを超えて活躍。2017年11月でデビュー40周年。18年1月に記念アルバム「私はわすれない」を発表した。

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