歌手・俳優 レ・ロマネスクTOBIさん 人気者でも家では陰気だった父 ぼくへの思い、今ならわかる

(2021年3月21日付 東京新聞朝刊)

家族のこと話そう

写真 レ・ロマネスクTOBIさん

(稲岡悟撮影)

デコトラの運転手がいきなり乾物屋に

 広島県北部の山里の生まれです。10歳で反抗期を迎え、広島市内の中学進学を機に田舎を離れて以降、東京、パリで暮らすことに。移住のたびに過去の記憶をいったんリセットしながら生きていました。父のことを思い出すこともほとんどなかったのですが、12年前、父が末期がんと分かり、久しぶりに両親、妹のいる実家へ帰省。そこから、いろんな記憶がよみがえってきました。

 父は、自由に生きた人でした。派手な電飾で彩ったトラック「デコトラ」の運転手でしたが、ぼくが4歳のころ突然、乾物屋に。商売下手で、開店初日に「広島カープ優勝」で全品10円の大安売り。金もすぐに底をつきました。

PTA会長、サンタ、少年野球の監督も

 小学校の給食費は激安の月20円。「学校に乾物を卸した分を差し引いた金額」という父の説明をずっと信じ込んでいましたが、今考えると減免されていたんですね。ぼくは、家が貧しいことにも気づかず暮らしていました。

 父は、保育園でサンタクロースや鬼の役、小学校のPTA会長、少年野球の監督など仕事以外の地域活動に熱心。陽気でしょっちゅう飲み会に出掛けました。酔ってノックしたり、女装して校庭に「乱入」したりしましたが、みんなの人気者でしたね。11年前の葬式でも、多くの参列者が「人を楽しい気持ちにさせた」「面倒見が良かった」と口々にほめていました。

 それが父の外づらの良さ。家では陰気でした。最も心に残る父の言葉は「内面を充実させてもしょうがない。外づらを充実させろ」。おもしろい表現だなと。外側だけでもよくしておけば、正しい人間にならなくてもいいぞと言われているようで、楽になるところはあります。

わが子を見て、幼いころの記憶が蘇る

 生い立ちの影響かもしれません。父は6歳の時、中国・東北地方からの引き揚げで1人で船に乗せられ、祖母の実家まで飲まず食わずでたどり着いたそうです。祖母は怖い人でした。そんな家庭環境を生き抜くため、外づらを良くすることを学んだのかもしれません。ぼくは二面性のある父が好きではなかったはずなのに、今は化粧し、飾り付けた舞台で歌い、外づらを仕事にしている。因縁ですね。

 父の死から3日後、長男が生まれました。長男の年齢が進むにつれ不思議なことに、ぼくもその年齢だった自分の記憶を取り戻すのです。亡くなった父がぼくに乗り移ったかのように、小さかったぼくを見ている父の気持ちが、長男を見ているぼくの気持ちとリンクする瞬間もあります。

 たどった記憶を小説にしました。自分も父親になった今、父は父なりにぼくを大事にしていたことが分かったよ、と父に伝えたいです。

レ・ロマネスクTOBI(トビー) 

広島県比婆(ひば)郡西城町(現・庄原市)生まれ。大学卒業後、入社する会社が次々倒産し渡仏。音楽ユニット「レ・ロマネスク」を結成し、現地で人気を集める。2011年、日本に活動拠点を移す。今年3月、父との思い出を描いた自伝小説「七面鳥 山、父、子、山」を出版。

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