歌手 日野美歌さん 思わず発した「お父さん聴いてる?」で会場号泣

佐橋大 (2021年7月12日付 東京新聞朝刊)
子育て世代がつながる

家族のこと話そう

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日野美歌さん

両親の出会いは合唱団 命名は”のど自慢” 

 両親とも歌が好きでした。母がいた電電公社(現NTT)合唱団に、旧国鉄の合唱団「うたごえ」創立者の一人である父が指導に訪れたことがきっかけで、交際が始まったとのことです。

 「美歌」という名前は母がつけてくれました。母がラジオでのど自慢を聞いていたら「ミカ」という女性が合格したそうです。母は「この人の名は美歌に違いない」と思い、子どもの名前も美歌に決めたそうです。

 子どもの頃、それほど名前を意識していませんでしたが、歌は得意でした。小学校に入った頃は引っ込み思案でしたが、音楽の時間に歌を歌うと「うまい」と驚かれ、自信を持てるようになりました。

中高時代は毎日、父が弁当を作ってくれた

 小学6年の時、テレビの子どものど自慢大会に出て、審査員の先生からレッスンのお誘いを受けました。母も月謝を出してあげると言ってくれたおかげで、鎌倉から東京に歌のレッスンに通いました。高校3年で所属事務所が決まり、芸能界入り。両親は、とても喜んでいました。

 父はおおらかで、正義感の強い人。両親が仕事で忙しいからと、私は小学5年までは5歳下の弟と、横浜市内の母方の祖父母に預けられていました。作業員の父の職場はそこから近く、毎日のように来てくれました。黄色いヘルメットを見つけて駆け寄る私を抱き上げた父の、伸びたひげが痛かったことを覚えています。

 父は、中学、高校と毎日、私の弁当を作ってくれました。母親もたまに作ってくれましたが、父が作ると、おかずは前日の酒のつまみ。煮たイイダコが3、4匹とか、砂肝のバター炒めとか。女だから料理を作れとか一切言わず、早起きして作ってくれていました。

毎年、横浜のディナーショーに来てくれて

 父は2019年12月に亡くなりました。その翌日、横浜で毎年開いているディナーショーがありました。両親が毎年来ていることを、会場の皆さんも知っていました。終盤、「昨日、父が亡くなりまして」と告げ、父の十八番「遠くで汽笛を聞きながら」を父にささげるために歌いました。私が高校時代、ギター部の練習でよく家で歌っていて、父も大好きになった歌です。「お父さん聴いてる?」と思わず発した言葉に、会場を号泣させてしまいました。

 母も今年1月、がんで亡くなりました。最期の日、意識もうろうとしている母を見て「お母さんよく頑張ったよ。もう頑張らなくていいよ」と言ったら、その2時間後に息を引き取りました。

 両親からもらったと感じるのは、歌声や感性。母の好きなものは感覚的に分かるし、味覚は父に似ている。平和を求める気持ちは、父も母も強かった。その思いを歌で届けたいですね。 

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日野美歌さん(「桜カフェ」提供)

日野美歌(ひの・みか)

1962年、神奈川県鎌倉市生まれ。1982年にデビューし、同年発表の「氷雨」が大ヒットした。近年は「いのりうた」「桜の刻(とき)」など自ら作詞、作曲したメッセージ性の高い歌をリリース。8月8日には横浜市の「横浜7th AVENUE」でライブを開く。

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