元ボクシング世界王者 畑中清詞さん 見守り役に徹した両親 いつも俺が願うとおりに

海老名徳馬 (2021年10月10日付 東京新聞朝刊)

家族のこと話そう

畑中清詞さん(桜井泰撮影)

意見・反対せず、ただ応援してくれた両親

 ボクシングを始めた時も、特待生で高校に進む時も、両親はいつも俺が願うとおりにさせてくれました。意見されたり反対されたりしたことは全くない。ただ応援。プロになった時、テレビのインタビューでおっ母が「全然心配しない。清詞ならやると思っとった」と答えていたほどです。

 お父はサラリーマン。学生の頃に体操をしていて、俺も教わって3歳で三点倒立ができていました。小さい時はキャッチボールもしてもらったな。おっ母は陽気で、よく面白いことを言っていました。きょうだいは3つ上のお姉と7つ下の弟。おっ母も弁当の配達とかで働いていたので、小さい頃はよく弟を連れて遊び回っていました。

 小学校に入った頃、先生が「習い事をしている人は?」と聞いたら周りが手を挙げた。自分も何かしたいと思った時に出合ったのが近所の空手道場。場所は閉店後のスーパーの駐車場でした。アスファルトに正座で、冬は雪が降ってもやり、滝つぼで寒稽古もした。あいさつ、脱いだ靴をそろえるとか、そういう礼儀は全て教えてもらいました。

 小学生でも中学生でも空手の全国大会で優勝しました。ボクシングを始めたのは、近所のおっちゃんの一言がきっかけです。「空手は一銭にもならない。ボクシングなら4回戦の試合でも2万5千円がもらえるぞ」。その時から目標が世界王者になりました。

息子のボクシングには大反対したけれど…

 空手の先生に近所のおっちゃん、世界王者になった頃に応援してくれた会社の社長さんたちと、俺にはアドバイスをくれる人がたくさんいました。それがわかっていたから、両親は見守り役に徹してくれたんだと思います。

 だから俺も、引退して自分のジムを持ってから、選手にあまり口を出していません。トレーナーが見ているから、俺が何か言うと、選手がどっちを取ればいいの、となる。その代わりに興行を開く会場やスポンサー探し、テレビ局との打ち合わせと、俺には俺の仕事があるんです。

 息子の建人(23)が中学2年でボクシングをしたいと言いだした時は、俺も妻も大反対しました。厳しいし、親と比べられもする。だけど息子は頑として譲りませんでした。毎朝走らなかったらやめさせるぞと言ったら、きっちり走ってるし、練習は誰よりもやる。(日本人初の世界王者)白井義男先生のことも勉強していて、ボクシング愛が非常に高い。それは遺伝かな。

 今はミットを持って、息子のパンチを受けています。力が入りますね。目標はもちろん世界王者。家に帰っても息子と話すのはボクシングのことだけ。おかげで言葉のキャッチボールはできるようになりました。

畑中清詞(はたなか・きよし)

 1967年、愛知県西春町(現・北名古屋市)生まれ。14歳でボクシングを始め、高校3年時にプロデビュー。91年にMBC世界ジュニアフェザー級王座を獲得した。右目の負傷で引退後、94年に名古屋市に畑中ジムを開設し、世界3階級を制覇した田中恒成選手らを育てた。

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