歌手・俳優 麻丘めぐみさん 歌手になりたかった姉、主婦が夢だった私 皮肉な運命に涙も流した

五十住和樹 (2023年1月22日付 東京新聞朝刊)
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家族のことを話す歌手・俳優の麻丘めぐみさん(市川和宏撮影)

カット・家族のこと話そう

風呂なしの家 一家で「姉をスターに」

 私が芸能の世界に入るきっかけを作ったのは、4つ上の姉です。私と違って積極的な人。親にも言わないで、幼稚園の先生に「お芝居をしたいから劇団に入りたい」って相談したそうです。母が私を連れて姉の仕事の現場に行っていた流れで、「妹さんも出なさい」と言われて私は3歳で初舞台を踏みました。

 姉が中学生の時、今度は歌手になりたいと言い出したんです。父が「心配だから」と、母と私を送り出して姉と3人で暮らすことに。私はモデルの仕事などをしてました。最初に住んだ家にはお風呂がなくて、母は「銭湯に行くのよ」って言うけど私は恥ずかしくて1時間くらい入れませんでした。お金がなくて、ずっとジャガイモ料理ばかりで「たまにはコロッケじゃなくてメンチカツが食べたいなあ」「早くお風呂のあるおうちに住みたい」って女3人、一生懸命生きていたんです。

 「姉がスターになれたら」と、家族皆が同じ気持ちでした。でも、なかなかうまくいかない。レコード会社の偉い人がうちに来て、私に「あなたがデビューするしかない」と。姉の苦労を見てるから、歌の世界はとてもじゃないけど無理と思いました。でも私が断って姉の立場が悪くなってはいけない。「1枚出したら義理が立つ」とデビューしました。

 姉からは「もう頑張るしかないよ」って言われました。ただ自分の中では、姉を応援するには稼がなきゃいけない、家計を助けなければという意識でした。洋裁ができる母は生地屋さんの端切れみたいなのを買ってきて、姉や私の衣装を縫ってくれました。

「1枚だけ」のつもりでデビューしたら

 デビュー後は世界がひっくり返っちゃったみたいで。何でこれがお姉ちゃんじゃないの。何で私なの。賞をいただいても何しても、お姉ちゃんだったら本当に心の底から喜べるのにって、よく泣いてました。デビューの翌年、「わたしの彼は左きき」がヒットしました。自分の実力ではない、ずっと続くわけないと思ってましたが、母も姉もシフトチェンジして「とにかくもう、やってもらうしかない」。だんだん私も、お姉ちゃんが果たせなかった夢を私が代わりにやってるんだ、という気持ちに切り替えました。

 私が19歳の時に姉は結婚し、普通の主婦になりました。主婦は私の夢だったので、運命って本当に皮肉だなって。姉は歌番組を見て「声、よく出てたよ。大丈夫。自信を持ってやりなさい」って言ってくれます。やっぱり麻丘めぐみをつくってくれたのは姉であり、母であり、ファンの皆さんや当時の作詞家、作曲家の方々。その恩に報いるためにも長く歌い続けること。もう、それしかないなって思います。

麻丘めぐみ(あさおか・めぐみ)

 1955年、大分県生まれ。大阪府育ち。3歳から子役・CMモデルで活躍し、1972年に「芽ばえ」でレコードデビュー。翌年の「わたしの彼は左きき」が50万枚を超える大ヒット。同年、日本レコード大賞大衆賞など数々の賞を受けた。2020年、29年ぶりの新曲を含む初の自選ベストアルバム「Premium BEST」を発売。本格的に歌手活動を再開した。

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