俳優 中尾明慶さん 裕福でなくても、何でもやらせてくれた両親

三浦耕喜 (2018年12月2日付 東京新聞朝刊)

家族のこと話そう

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家族について話す俳優の中尾明慶さん(安江実撮影)

両親共働きの家庭で

 決して裕福な家庭に生まれたわけではありません。父はトラック運転手で、長距離もやっていました。家に帰るのは週に一度という時期も。58歳の今も現役で、都内の配送で働いています。

 母も建築会社の会社員でした。今は自分でインテリア関係の仕事をしています。夫婦とも働く家庭でしたが、私が「やりたい」と言うことは、何でもやらせてくれました。「テレビに出たい」と思って、タレント養成所に入った時も、安いとは言えない入会金、月謝を出してくれました。

 「サッカーがやりたい」という兄にも同じ態度でした。子どもが本気で「やりたい」と思ったことは、自分のほしいものも我慢してやらせてみる。それが両親の考えだったのでしょう。反対されたことは一度だってありません。

オーディション100本以上落ちて…

 でも、テレビに出るまでは、へこむことの連続でした。9歳でオーディションを受け始めましたが、月に2、3本、4年間で100本以上受け、全部落ちました。帰るたびに、親の前では「今度は絶対受かっている」と自信満々に語っていたのですけどね。

 ただ「3年B組金八先生」(TBS)だけは、落ちたと思いました。体が小さくて中学生役は無理。それに、他の応募者は何か特技を持っている。ダンスとか歌唱とか。何もない僕は、バスケットボール部に入った時だったので、シュートするまねをしました。「エアシュート」ですね。

 「ダメだ」と思っていたら、何と合格通知が。後日、送られてきた台本を家族の前で広げた覚えがあります。「すげえ。これが台本かよ」と。「ここに『武田鉄矢』って書いてある!」なんて言いながら、練習を始めたりして。そんな家族の大騒ぎで僕の俳優人生は始まりました。

 オーディションに何度も落ちたので、何でも出られることがありがたいのです。だから、何でもやった方がいい。やりたいことをやり切ることを大切にしたいです。

5歳の息子と徹底的に向き合う

 「イクメン・オブ・ザ・イヤー2018」の俳優部門に選んでいただきましたが、僕以上に一生懸命な男性はたくさんいますよ。一番大変なのはママ(妻)。でも、父親として、僕にしかできないこともあるでしょう。叱ることとか。この間も息子が保育園でケンカをし、手を出したと聞きました。自転車の後ろに乗せて「家に帰ったら話がある」と言いました。5歳でも徹底的に向き合って話します。理由も聞いて、「もうしない」と約束しました。

 将来は自分のやりたいことを一生懸命やってくれる子になってほしいですね。「明るく慶(よろこ)ばれる人になってほしい」と、名付けてくれた僕の親がそうしてくれたように。

中尾明慶(なかお・あきよし)

 1988年、東京都生まれ。俳優。妻は女優の仲里依紗さん。現在放映中のNHK連続テレビ小説「まんぷく」に、正義感は強いが、そのためにけんかっ早い「岡幸助」の役で出演。ネット配信のドラマで、明石家さんまさんと、ジミー大西さんの交流を描いた「Jimmy~アホみたいなホンマの話」では主演を務めた。

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