首都圏の子育て世代が震撼した「3月21日の雨」 放射能から子どもを守ろうと活動した母親たち

山本哲正 (2021年3月18日付 東京新聞朝刊)
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放射性物質汚染の状況を知る地図を手に入れるなど、情報を集めた当時を振り返る山本あづささん=川崎市で

 「3・11」から10日後の2011年3月21日に降った雨は、首都圏の子育て世代を震撼(しんかん)させた。東京電力福島第一原発の影響により放射線量が急上昇していた。子どもたちを放射能から守ろうと、多くの母親たちが動いた。川崎市高津区の山本あづささん(43)もその一人。当時の思いを振り返り、「情報が市民にきちんと伝わる社会にしたい」と訴える。 

原発事故の影響 放射線量が急上昇し…

 雨が降った21日から23日にかけて、川崎市が設置した測定所で毎時0.1マイクログレイ(毎時0.1マイクロシーベルト相当)を超える値を観測した。平時の3倍以上の数値だった。

 山本さんがそのことを知ったのはずっと後になってから。「関東も人ごとじゃなかったんだ」と悔やんだ。震災直後、おむつや食料を買い置きしていなかった山本さんは2歳の娘をベビーカーに乗せ、4歳の息子と手をつないで連日、品薄になったお店を巡り歩いていた。「国も行政も、注意喚起をしてくれなかった」

 この雨をきっかけに、首都圏では母親たちが自らの手でホットスポットを調査し始めていた。

測定器の無料貸し出し 市長に訴え実現

 川崎市内にも心配な場所はいくつもあった。山本さんは、7月には「子どもを放射能から守る会@川崎」のホームページを開設。100人を超える仲間が集まり、情報交換や悩みを相談し合った。

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娘とともに市役所を訪れ、市議会の委員会を傍聴するなど子どもを守るための情報を集めた、2012年当時の山本さん=川崎市役所で

 会では、小中学校のホットスポットの線量測定、落ち葉集めへの注意喚起などを1300人の署名とともに市長に要望。測定器の無料貸し出しを求める請願も市議会に提出、市は後に一般貸し出しを決めた。

 市に学校給食の安全安心対策も求め、行政への訴えは一段落したことで2019年2月、会の残金を福島の子どもを守るプロジェクトに寄付し解散した。

情報共有されず、再稼働の動きが活発に

 この10年、やはり大事なのは情報だと痛感する日々だった。山本さんたちは市議会の傍聴など積極的に情報を集めて活動を進めてきた。一方、原発事故に関する報道は年を追うごとに減っていった。「脱原発だって、世論的には少しは進むと思っていた。マイナス情報が共有されない中で、再稼働への動きが活発になっていった」

 先月13日深夜の福島・宮城地震でも、福島第一原発の格納容器の水位低下が発表されたのは6日後の19日。「政権に忖度(そんたく)した官僚による公文書の改ざんや隠蔽(いんぺい)なども進み、むしろどんどん悪化している気がする」と心配する。

 今、パートで働きながらバスケに励む子どもたちを応援する日々を送る山本さん。あのとき声を上げた経験が、今もフットワークを軽くしてくれる。ネットで情報を集め、食品の放射性物質濃度の基準緩和に反対する署名などで意見表明を続けている。「子どものことを考え、できることをする人が増えれば、世の中変わると思います。だれでもできると知ってほしい」

3月15日の事故発生直後にも放射線量が急上昇 被ばくの実態は不明

 首都圏では事故直後の2011年3月15日に一度、数値が急上昇した。川崎市設置の測定局(地上12メートル)でも、事故前は毎時0.03マイクログレイ前後だった線量が、16日朝に0.13マイクログレイと上昇。同日夜以降は同0.04マイクログレイほどに落ち着いたが、同月21日~23日にかけて再び上昇した。この後の減少は緩やかで、2011年4月中旬~5月上旬も同約0.05マイクログレイ前後で推移した。環境省や神奈川県衛生研究所の資料などによると、3月21日からの降雨で事故による放射性物質が降りそそいだとみられる。

 「さがみ生協病院」(相模原市)の牛山元美医師は「地上12メートルで0.1を超えた時に、子どもの高さ、地表近くの線量はどうだったか。放射能の感受性が高い子どもの被ばく量は不明だし、低線量被ばくの実態も明らかになっていない」と指摘する。

元記事:東京新聞 TOKYO Web 2021年3月18日

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