詩人 和合亮一さん 季節や心の移ろい、いつの間にか教えられた

(2018年3月11日付 東京新聞朝刊)
子育て世代がつながる

家族のこと話そう

発想の原点について語る詩人の和合亮一さん(竹上順子撮影)

福島の古い大きな家で

 福島市内の山の近くにある古い大きな家で、祖父母と両親、妹と僕の6人で暮らしていました。遊んでいると、ばあちゃんの「ご飯だよー」という声が公園に響く。家族みんなで、いろんな話をしながらご飯を食べました。 

 じいちゃんは蔵の奥に本を大切にしまっていて、よく夏目漱石の「坊っちゃん」の話をしてくれました。本を読まなかった僕は「じいちゃんには不思議な友達がいるんだな」と思っていました。小学3年の時、じいちゃんが亡くなり、あまりにも悲しくて、お坊さんのまねをして般若心経を読み始めました。ばあちゃんと一緒に毎晩1時間ほど。意味は分からないけれど、声に出すことで大きな「何か」を感じられる気がしました。

「ばあちゃん子」で・・・

 ばあちゃんとは、父の仕事の関係で中学2年から高校1年まで、2人で暮らしました。ばあちゃんは大正時代の文学少女で、よく詩を暗唱していました。僕は「ばあちゃん子」で、夕食後に2人でテレビのサスペンスドラマを見るのが楽しみという生活。お月見をしながら団子を食べたり、春にはお花見をしたりもしました。

 僕が高校生の頃はバブル時代で、誰もが東京へ行きたがった。僕も早く福島を出たかったけれど、父が病気になり、地元の国立大へ進学。そこで20歳の時、詩を書き始めました。それまで読書もせず、ふざけてばっかりいたけれど、季節や人の心の移ろいを、いつの間にか家族から教えられていました。

原点はふるさとや家族

 実家を出たのは、教師になって初任地の南相馬市へ行った時。両親が心配して、よく来てくれました。仕事から帰ると、部屋が掃除されてテーブルにちらしずしが置いてある。思わず「帰っちゃったんだなあ。寂しいなあ」とつぶやいていました。

 だから息子の大地(19)のことも、家を出ないように「夢を持たないように育てよう」と思っていました。かわいすぎたんです。東日本大震災と原発事故の後、妻の敦子(49)と大地が1カ月ほど避難した時は、もう戻ってこないんじゃないかと思いました。震災後は、いろんな家族の別れを見てきました。震災前は「ふるさと」について書いたこともなかったけれど、自分の発想の原点は、ふるさとや家族なんだとよく分かりました。今は福島そのものを家族のように思っています。

 大地は昨春、東京の大学の演劇科へ行きました。寂しかったけれど、僕と敦子も大学の演劇サークルで出会い、今も詩のイベントをしているので、彼がそうした仕事を目指していくのは、自分ももう一回、人生を生き直しているような気分。こうして巡っていくのが、家族なんだなあと思います。

わごう・りょういち

 1968年、福島市生まれ。高校教師。東日本大震災直後、市内の自宅から連作「詩の礫(つぶて)」をツイッターで発信。2018年4月に「現代詩文庫 和合亮一詩集」(思潮社)を刊行。

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