シンガー・ソングライター 牛来美佳さん 震災、いつか浪江へ帰りたい… 気丈な娘のおかげで歌い続けられる

草間俊介 (2023年1月15日付 東京新聞朝刊)
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福島県浪江町からの避難の様子を話す歌手の牛来美佳さん(須藤英治撮影)

カット・家族のこと話そう

道路寸断、ようやく娘を抱き締めた

 生まれ育った福島県浪江町は、秋になると川にサケが上ってくる自然の豊かな町です。大好きでした。でも、2011年の福島第一原発の事故で一変し、人が一時、住めなくなってしまいました。

 震災当時、シングルマザーの私は5歳の一人娘を保育園に預け、原発敷地内にある協力企業に勤めていました。娘はしっかりとした性格で、私も「娘こそわが命」と、2人寄り添って生きていました。地震発生時も会社にいました。大きな揺れと恐怖の中、娘は無事かと、すぐに同僚の車で保育園へ向かいました。

 道路が寸断され、やっとのことで着きました。娘の顔を見て、心から安心して抱き締めました。娘は事態の大きさを感じ、母親を困らせてはいけないと思ったのか、泣きわめいたりしませんでした。

 娘と徒歩で自宅のアパートを目指しました。街は異様な雰囲気で、空気がピリピリ。吹雪の中、娘の手をギュッと握ったまま、ほぼ無言で歩きました。アパートは家具が倒れて物が散乱。早々とあきらめ、避難所に向かいました。

 その後、両親らと福島県郡山市にいる姉一家を頼りましたが、安心できる住まいを求め、娘と2人、新潟へ行ったり、郡山へ戻ったりしました。浪江町に立ち入れない現実が悔しくて悔しくて。その年の5月にやっと群馬県太田市に落ち着けました。

避難生活で歌手になる夢をめざして

 避難生活の中、携帯が鳴りました。知人の郡山のライブハウスの店長でした。子どものころから歌手になるのが夢で、そこに出入りしていました。店長から「こんな時だからこそ音楽をやらないか」。

 後日、落ち着いたころ、故郷への思いを表現した「いつかまた浪江の空を」を作り上げました。被災3日目の夜、トイレで携帯のメモに打った詩を歌詞にしました。

 太田市で6年が過ぎた17年3月31日、浪江町は一部を除いて立ち入り禁止が解除され、11歳になった娘を連れて一時帰宅しようか悩みました。娘に聞くと、「行きたい」。私は何度か申請して一時帰宅していましたが、娘が帰るのはあの日以来です。

 荒れ果てたアパート。娘は押し入れからおもちゃの掃除機を見つけました。私が掃除機をかけていると、娘もまねをしていたものです。保育園も見に行きました。娘なりに思い出を探したのでしょう。

 その娘ももう高校生。震災や避難生活を経験して、強くたくましく育ってくれました。私が娘を支えるのは当たり前です。でも、ふと思うんです。私こそ、娘に支えてもらったんじゃないかって。支え、支えられ。歌を続けられたのも、娘のおかげです。いつか浪江へ帰りたいですね。

牛来美佳(ごらい・みか)

 1985年7月福島県浪江町生まれ。2022年3月メジャーデビュー。群馬県太田市を拠点に活動し、同県内や浪江町などでコンサートを開催。2月22日に「いつかまた浪江の空を」を含む3曲を収めたCDを発売予定。同23日に太田市民会館でCDリリース記念復興支援ライブ2023を開催予定。詳細は本人のHPで案内している。

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