お笑い芸人 お見送り芸人しんいちさん 借金2000万円を背負っても笑っていた両親に、孝行したい

植木創太 (2023年4月16日付 東京新聞朝刊)
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両親について語る、お見送り芸人しんいちさん(益田樹撮影)

家族のこと話そう

「死ぬまでに絶対返し切る」

 両親は大阪で服飾関係の町工場を営んでいます。扱うのは主に婦人服。値札を付けたり、プレスをかけたりと、服が店頭へ並ぶ直前の加工が担当です。小さい頃、一番の遊び場は工場でした。

 創業社長の父は服を扱っているけど、いつもサンダルに作業着で、決しておしゃれではありません。頑固者なイメージですが、家族サービスには精力的。子どもからすると、よく遊んでくれるいいオトンです。服飾不況も長く、会社の切り盛りは大変だったと思うのですが、そんなそぶりは僕らの前では一つも見せませんでした。

 僕が大学生のころには、知人の連帯保証人だったことで、父は2000万円の借金を背負いました。会社も傾きかけましたが、「死ぬまでに絶対返し切る」と言い切りました。実際に70歳を過ぎても現役。昨年までに4分の3を返済していました。一から仕事を興した人ですから、エネルギーがあるんですよ。その点はかっこいいと思います。

 ただ、芸人なら突っ込みたくなるようなところもたくさんあります。借金を背負った時もそう。好きだったギャンブルも「やめる」と宣言したのに、翌日には「7万勝ったわ」とパチンコから上機嫌で帰ってくる始末。でも、そこで何やってんだとならないのがわが家。オカンは「あと1993万円や」って抱きついて喜びました。そんな笑いの絶えない家で、豪快な父を見て育ったことは、お笑いの道を志す下地になっていたのかもしれません。

母の言葉がこたえて一念発起

 僕自身、大学に行かせてもらったのに就職活動もせずに、旅へ出て、そのまま芸人の養成所入り。ほぼ遊んでいた時期もあって、両親には本当に迷惑と心配をかけました。特に20代は、お金に困ったら実家に連絡する日々。電話する時は「5000円貸して」って。そうすると、どうせ足りないだろうって1万円くれると分かっているから。現実を見ず、甘えていました。

 そんな僕に母が3年ほど前、「あきらめがつくまでやりなさい。いつでも戻ってこれるよう、会社も頑張って続けるわ」と言ったのは、こたえました。体を張ってしんどい思いをして借金を返して今も働いている両親にそう言わせる悔しさ、惨めさ…。そこから結果を残すために、がむしゃらになれて今があると思います。

 R-1の賞金は両親に渡しました。残っていた借金が賞金と同じ500万円。父は返済も終わり、息子も徐々に稼げるようになり最近上機嫌らしいです。行きつけの理髪店や喫茶店とかで「サイン欲しかったら言うとくで」と。以前は周囲から「あなたのお子さん大丈夫?」と言われ、恥ずかしい思いもさせていたよう。我慢して見守ってもらった分、活躍し、しっかり孝行していくつもりです。

お見送り芸人しんいち 

 1985年、大阪府大東市生まれ。本名・上野晋一。2022年にピン(1人)芸人の大会「R-1グランプリ」で優勝。ギターを抱え、毒の強い歌詞を披露する歌ネタを持ち味にバラエティー番組で活躍。気に入られようと先輩芸人を丁寧に見送る姿を、事務所先輩のサンドウィッチマンの伊達みきおさんが「お見送り芸」と評したのが、芸名の由来。

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